マーク・マルダー
Mark Mulderセントルイス・カージナルスでの現役時代
(2008年6月15日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地イリノイ州サウスホーランド
獲得メダル
男子 野球
アメリカ合衆国
パンアメリカン競技大会
銀1999野球
マーク・アラン・マルダー(Mark Alan Mulder, 1977年8月5日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
オークランド・アスレチックス在籍時には、2000年からティム・ハドソン、バリー・ジトと共にエーストリオ "ビッグ3" を形成。以後4年で3人合わせて198勝(チーム勝利数の50.5%)を挙げ、チームは2003年まで4年連続ポストシーズン出場を果たした。 高校時代は一塁手として打力が注目され、卒業時にはデトロイト・タイガースからドラフト55巡目(全体1456位)指名されたが、これを蹴ってミシガン州立大学へ進学。1997年、1998年と2年連続でチームのMVPに選出された[1]。 1998年にドラフトでオークランド・アスレチックスから1巡目(全体2位)指名を受け入団。 1999年7月から8月に開催されたウィニペグパンアメリカン競技大会 2000年4月18日にメジャーデビューを果たし、9勝10敗と負け越したが、新人投手最多の27試合に先発登板した[3]。 2001年9月23日にシーズン20勝を達成した。ア・リーグの左投手が20勝以上をマークするのは1996年のアンディ・ペティット以来の快挙であった[4]。その後シーズン最後の登板となった10月4日に勝ち投手となり21勝を挙げ最多勝を獲得。サイ・ヤング賞の投票ではロジャー・クレメンスに次ぐ2位に入り、ティム・ハドソン、バリー・ジトと共にエーストリオ“ビッグ3”としてチームの4年連続(2000年 - 2003年)ポストシーズン進出の原動力となった。 2002年は4月12日から5月10日まで29日間故障者リスト入りとなったものの、19勝を記録した。 2003年はオールスターゲームに初めて選出されたが、8月19日の登板を最後にシーズンを終えた。26試合の登板で15勝をマークした。26試合以下の登板でマルダーより多い勝ち星を挙げたのは球団史上エディ・プランク(1906年に26試合で19勝)しかいない[5]。 2004年12月18日にダン・ヘイレンらとのトレードでセントルイス・カージナルスへ移籍[6]。1年契約(2006年の球団オプション付き)を結んだ。 2005年はチームに欠けていた左腕エースとしてチーム2位タイの16勝を挙げた。 2006年は終了時にFAとなるだけに期するものがあったはずだが、左肩を痛め不調。結局シーズン終了を待たずに手術に踏み切ることになり、9月12日に左肩の修復手術を行った[7]。
経歴
プロ入り前
アスレチックス時代
カージナルス時代