マーク・ザッカーバーグ
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マーク・ザッカーバーグ
Mark Zuckerberg
2019年
生誕マーク・エリオット・ザッカーバーグ
(1984-05-14) 1984年5月14日(39歳)
アメリカ合衆国ニューヨーク州 ホワイト・プレインズ
民族ユダヤ系アメリカ人
出身校ハーバード大学工学部計算機科学専攻(中退)
身長171センチメートル
肩書きMeta Platformsの共同創業者、会長、CEO
配偶者プリシラ・チャン(2012年 - )
子供3人
署名

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マーク・エリオット・ザッカーバーグ(Mark Elliot Zuckerberg、1984年5月14日 - )は、アメリカ合衆国プログラマー実業家Meta Platforms, Inc.(旧称: Facebook, Inc.)の共同創業者会長CEO

ハーバード大学在籍中にソーシャル・ネットワーキング・サービスサイト「Facebook」を立ち上げた[注釈 1]。2010年のTime誌パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。
来歴
生い立ち

アメリカ合衆国ニューヨーク州ウェストチェスター郡ホワイト・プレインズで、歯科医の父親と精神科医の母親からなる家庭の第2子として生まれた。姉1人と妹2人がおり、ドブス・フェリーで育った。曾祖父はドイツオーストリアポーランドから移民したユダヤ系であった[1]

その後のザッカーバーグは、アーズリー高校に入学し2年を過ごすが、退屈さに耐え切れず、アイビーリーグの大学に進学するのが当たり前のエリート進学校として難関大学入試突破に特化した全寮制高校(ボーディングスクール)の1つである、フィリップス・エクセター・アカデミーへと転校する。

友人のアダム・ダンジェロとともに、2003年に音楽再生用フリーソフトウェア「Synapse Media Player」のサービスを開始した。これは利用者が以前に選択した曲をベースに、聞く曲目を予測してくれる機能が高い称賛を受けたソフトウェアであった。マイクロソフト社を含む幾つかのソフトウェア会社がこのプレイヤーに興味を示したが、正式な取引は行われなかった[2]
大学時代

その後ハーバード大学に入学し、2006年卒業予定の学生として登録された。入学後はフラタニティのアルファ・イプシロン・パイに所属した。このハーバード大学在籍時においても、自身のプロジェクトの創出を続けていた。初期のプロジェクト「Coursematch(コースマッチ)」では、同じクラスを履修している他の学生のリストを参照できるようにした。

のちにプロジェクトの1つとして開設したサイト「Facemash.com(フェイスマシュ.com)」は、ハーバード大学内に特定した、ランキングサイト「Hot or Not」のような画像格付けサイトであった。しかし、ネット上に開設後すぐに、大学の管理部職員によってザッカーバーグのインターネットアクセス権が無効とされたため、サイトがオンライン上に存在したのはわずか4時間程となってしまった。

この件は大学側によって問題とされ、大学のコンピュータ業務部がザッカーバーグを連れ出したのち、彼はハーバード大学運営理事会によって、コンピュータのセキュリティを破りインターネット上のプライバシー知的財産の規約に違反したとして処罰された[3]
実業家

ザッカーバーグは、自由で公然とした情報の利用を可能にすべきと考えていたことを主張した。理事会側からの訴訟は公的には行われず、その後ザッカーバーグはSNSサイト「Facebook(フェイスブック)」を立ち上げると共に大学を休学、その1年後に中退となった。

ザッカーバーグは中国清華大学経済管理学院顧問委員の一人でもあり[4]習近平国家主席党総書記)とも会談している[5]。他企業の幹部らとともに、移民法改革の政治団体「FWD.us」を設立[6]
Facebook関連詳細はFacebookの項目も参照。
買収の噂

Yahoo!バイアコムMicrosoftなどの企業が、Facebookを買収しようとしたが、ザッカーバーグは7億5000万ドルの買収の話を断ったと報道されたことがある。
News Feed

2006年9月5日、Facebookはサイト上で友人が何をしているかを一覧で表す「News Feed(ニュース・フィード)」の機能を開始した。しかし、ザッカーバーグはある利用者がみだりにNews Feedを見たりする点や、これがネット上でサイバーストーキング行為を働けるツールであるとして、非難の的になった。その3日後に、ザッカーバーグはFacebookのコミュニティにある公開文に返信を投稿し、突然こうした機能を設けたことに謝罪して新しいプライバシー保護機能を提供したものの、このNews Feedの機能と彼の自由な情報利用という方向性は守った。この機能は友人間での利用にとって有用なものであり、プライバシー機能を設定することで、友人・知人以外の利用者からのアクセスをブロックできると彼は主張した。現在、このNews Feedは、Facebookの利用者が使用する主な機能の1つになっている。
Facebook Platform

2007年5月24日、サンフランシスコで行われた「f8」と呼ばれる会議の中で、ザッカーバーグはFacebook内で使用できるアプリケーションの開発を可能にするアプリケーション・プログラミング・インタフェース、「Facebook Platform(フェイスブック・プラットフォーム)」を開始すると発表した。彼のスピーチはさながらスティーブ・ジョブズAppleの新製品を紹介するかのようなスタイルで行われている[7]

このFacebook Platformのサービス開始後、ザッカーバーグとFacebookはより多くの報道の的となり、同年8月のニューズウィーク誌には巻頭記事にもなった[8]
ConnectU論争

ハーバード大学時代のザッカーバーグのクラスメート、ディヴャ・ナレンドラ、キャメロン・ウィンクルヴォス(en)、タイラー・ウィンクルヴォス(en)は、彼らのウェブサイト「ConnectU(コネクトユー)」のコードを完成させるためにザッカーバーグを雇い、彼にサイトのアイディアやデザイン、ビジネスプランやソースコードを盗まれたのだと主張した。

2004年、契約違反や企業秘密の悪用、著作権侵害他、様々な請求により、ザッカーバーグは告訴された。ザッカーバーグ側はそのような雇用の契約書は無く、また彼らの事業に長くは携わっていなかったことの他に、ConnectU側がFacebookへ財政的な被害を与えようとしていると主張した[9]。しかし、ConnectUはFacebookを閉鎖させる意図はないと断言している。

告訴の提起がマサチューセッツ州で行われて以来、訴訟は2007年3月28日に棄却されたが、採決されてはいなかった。告訴はその後すぐにボストンの連邦地方裁判所で再び提起され、2007年7月25日に予備審問が予定された[10]。審問にて、裁判官はConnectU側の申し立ての一部は十分な弁明が行われていないとし、修正した告訴状を再提出できる猶予期間を与えた。

この経緯は、映画『ソーシャル・ネットワーク』に題材として取り上げられて世界中の耳目を集め、結果「Facebook」への関心をさらに高める結果ともなった。2011年4月11日、連邦控訴審はウィンクルヴォス兄弟の「自分たちの株式の価値は低すぎる」との主張を退けた第一審の判決を支持し、評価額1株あたり8ドル88セント相当の Facebook 株式を受け取るべきとの判断を示した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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