マーキュリー計画
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マーキュリー計画

期間1958年 ? 1963年
実施国アメリカ合衆国
目標有人宇宙飛行
結果完遂
アメリカ初の有人宇宙飛行:
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弾道飛行: 1961年5月5日

地球周回飛行: 1962年2月20日

1日以上の軌道滞在: 1963年5月15?16日

宇宙飛行士

スコット・カーペンター

ゴードン・クーパー

ジョン・グレン

ガス・グリソム

ウォーリー・シラー

アラン・シェパード

ドナルド・スレイトン

搭乗員数1名
使用ロケットアトラスレッドストーンリトル・ジョー
受注企業マクドネル・エアクラフト (宇宙船製造)
経費16億ドル (2010年現在の貨幣価値に換算)
後続計画ジェミニ計画およびアポロ計画
対抗者ボストーク計画 (ソビエト連邦)

マーキュリー計画(マーキュリーけいかく、: Project Mercury)は、1958年から1963年にかけて実施された、アメリカ合衆国初の有人宇宙飛行計画である。これはアメリカとソビエト連邦(以下ソ連)の間でくり広げられた宇宙開発競争の初期の焦点であり、人間地球周回軌道上に送り安全に帰還させることを、理想的にはソ連よりも先に達成することを目標としていた。計画は、空軍から事業を引き継いだ新設の非軍事機関アメリカ航空宇宙局によって実行され、20回の無人飛行 (実験動物を乗せたものを含む)、およびマーキュリー・セブンと呼ばれるアメリカ初の宇宙飛行士たちを搭乗させた6回の有人飛行が行われた。

宇宙開発競争は、1957年にソ連が人工衛星スプートニク1号を発射したことにより始まった。この事件はアメリカ国民に衝撃を与え、その結果NASAが創設され、当時行われていた宇宙開発計画は文民統制の下で推進されることとなった。1958年、NASAは人工衛星エクスプローラー1号の発射に成功し、次なる目標は有人宇宙飛行となった。

だが初めて人間を宇宙に送ったのは、またしてもソ連であった。1961年4月、史上初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンの乗るボストーク1号が地球を1周した。この直後の5月5日、アメリカ初の宇宙飛行士アラン・シェパードが搭乗するマーキュリー・レッドストーン3号弾道飛行を行った。同年8月、ソ連はゲルマン・チトフを飛行させ1日間の宇宙滞在に成功した。アメリカが衛星軌道に到達したのは翌1962年2月20日のことで、ジョン・グレンが地球を3周した。マーキュリー計画が終了した1963年の時点で両国はそれぞれ6人の飛行士を宇宙に送っていたが、アメリカは宇宙での総滞在時間という点で依然としてソ連に後れを取っていた。

マーキュリー宇宙船を設計したのは、マクドネル・エアクラフト社であった。


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