この項目では、イギリスの都市について説明しています。その他の用法については「マンチェスター (曖昧さ回避)」をご覧ください。
シティ・オブ・マンチェスター
City of Manchester
バラ & シティ
時計回りに、市街地遠景、Beetham Tower
紋章
愛称: "北の首都", "コットノポリス", "セカンド・シティ", "ウェアハウス"
標語: "Concilio Et Labore" "By wisdom and effort"
マンチェスターの位置
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯53度28分0秒 西経2度14分0秒 / 北緯53.46667度 西経2.23333度 / 53.46667; -2.23333
国 イギリス
カントリー イングランド
地域ノース・ウェスト・イングランド
カウンティグレーター・マンチェスター
自治機関マンチェスター・シティ・センター
定住時期1世紀
タウン成立1301年
シティ認定1853年
政府
? 種別都市バラ,シティ
? 議会マンチェスター・シティ・カウンシル
? 市長マーヴィス・スミスマン
? 議員Paul Goggins (労)
Sir Gerald Kaufman (労)
John Leech (自民)
Tony Lloyd (労)
Graham Stringer (労)
面積
? バラ & シティ115.65 km2 (44.65 mi2)
標高78 m (256 ft)
人口(2018年中期推計値)
? バラ & シティ547,627人
? 密度3,815人/km2 (9,880人/mi2)
? 都市部2,240,230人
? カウンティ2,547,700人
? カウンティ密度1,997人/km2 (5,172.2人/mi2)
? LUZ2,539,100人
? LUZ密度1,984人/km2 (5,140人/mi2)
族称Mancunian
郵便番号M
市外局番0161
民族構成
(2006[1]) 76.7% 白色人種
3.3% 混血人種
10.6% 南アジア人種
5.3% 黒色人種
4.1% 東アジアその他
ISO 3166-2GB-MAN
ONS00BN
NUTS 3UKD31
市民呼称マンキュニアン
(Mancunian)
ウェブサイト ⇒www.manchester.gov.uk
マンチェスター(Manchester, IPA: [?man?t??st?][ヘルプ/ファイル])は、イングランドの北西部、グレーター・マンチェスターに位置するシティ。1853年にシティ・ステータスが与えられた北部イングランドを代表する都市である。2018年の時点で、マンチェスター(シティと大都市バラ)の人口は約55万人で、イギリスで6番目の都市であった。2011年の近郊を含む都市圏人口は224万人で、同国第3位であった[2]。 マンチェスターという名の由来は、古代ローマの領土だった時代のラテン語名「マムキアム(Mamuciam)」(ケルト語の地名「mamm」をラテン語風に読み替えたものであり、元の意味は「胸」「乳房のような丘」ではないかと思われる)と古英語の「ケステル(ceaster)」(ラテン語で駐屯地や城を意味する「castra」から来ており、町という意味)を合わせたものである。 マンチェスターは綿工業などが発展し、産業革命において中心的役割を果たしたことで知られている。20世紀になって綿工業などが衰退し、19世紀にイギリス経済や世界経済で占めていたほどの地位からは外れているが、今日では商業・高等教育・メディア・芸術・大衆文化などの北部の中心地であり、第一次世界大戦後はバーミンガムがイギリス第二の都市とされていたが、第二次世界大戦後にグレーター・マンチェスターに再編されてからはバーミンガムと人口では拮抗、経済的にはバーミンガムを追い抜き現在ではイギリス第二の都市として評価されている[注釈 1]。 マンチェスターは都市州、グレーター・マンチェスターの一部を占める都市区であるが、市の地位を持っている。 1世紀、古代ローマ帝国によってマンクニウムとよばれる前哨地が一帯に築かれ、その砦がマンチェスターの起源である。中世的な町が形成されたのはおそらく10世紀のことで貴族の荘園が経済の基盤となっていた。14世紀にはオランダの織物職人の移民によって毛織物の生産が行われるようになり、定期的にマーケットが開かれる商業都市に発展した。 マンチェスターが劇的に変化したのは18世紀後半である。1785年に紡績機に蒸気機関が導入されることによって、大量生産が可能となり、世界で初めて産業革命が起こった。町の人口は爆発的に増加し、経済は急成長をとげた。1830年、リヴァプールとの間に世界で最初の鉄道が開通し、マンチェスターで生産された綿織物がリヴァプール経由で世界中に輸出された。 1819年8月には、セント・ピーター広場で穀物法の撤廃と議会改革をもとめる人々が市当局に殺害された「ピータールーの虐殺」の舞台となった。コブデン、ブライトらが反穀物法同盟を組織した。穀物法は1846年に撤廃へと追い込まれた。 1894年にはマンチェスター運河の完成によってマージー川河畔にあるイーストハムともむすばれ、外洋航行船が出入りできるようになった。一方で産業革命の進展はスラムや公害などの深刻な都市問題を引き起こした。ドイツのフリードリヒ・エンゲルスが「イギリスにおける労働者階級の状態」を著したのも、この街に2年ほど滞留した経験に基づいたものである。 第二次世界大戦の際には、各地の工場が軍用製品の生産に切り替えられた。マンチェスターもドイツによる激しい空襲を受けた。
概要
歴史