マンチェスター・シティFC
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マンチェスター・シティFC
原語表記Manchester City Football Club
呼称MCFC
クラブカラー   
スカイブルー
創設年1880年
所属リーグプレミアリーグ
所属ディビジョン1部(2023-24
ホームタウンマンチェスター
ホームスタジアム
エティハド・スタジアム
収容人数53,600
代表者 カルドゥーン・アル・ムバラク(英語版)
監督 ジョゼップ・グアルディオラ
公式サイト ⇒公式サイト

ホームカラーアウェイカラーサードカラー

テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

マンチェスター・シティFC(英語: Manchester City Football Club, イギリス英語発音:[?man?ist? ?siti ?fut?b??l kl?b])は、イングランドマンチェスターに拠点を置くプロサッカークラブである。プレミアリーグに所属する。
概要

1880年、マンチェスターのセント・マークス教会がチームを結成しアーディックAFCとなり、1894年に現在の名称となった。世界規模、全国区のマンチェスター・ユナイテッドに対し「真のマンチェスター市民のクラブ」と言われる[要出典]。マンチェスター・ユナイテッドとの試合は「マンチェスター・ダービー」と呼ばれ、マージーサイド・ダービーノース・ロンドン・ダービーと並び、リーグの三大ダービーの一つに数えられている。

2011-12シーズンにマンチェスター・ユナイテッドを僅差で凌ぎ、プレミアリーグ初制覇を果たした。2017-18シーズンにプレミアリーグ初となる勝ち点3桁でのリーグ制覇を果たす。

サポーターはクラブの愛称をもじり「シチズン(Cityzens)」と呼称される[1]。著名人のファンとしてはオアシスのギャラガー兄弟(ノエル・ギャラガーリアム・ギャラガー)が有名。彼らはかつてシティが財政難の際にスポンサーとして出資するなど熱狂的なファンである[要出典]。2011年にはリアムが、2012年にはノエルがユニフォームのモデルを務めた[2]。チーム自体がかなりオアシスと緊密な関係を維持しており、度々公式ホームページにコメントを寄せたり、スタジアムでの入場曲にロール・ウィズ・イットワンダーウォールを使用している。

2008年にUAEの投資グループに買収されて以降、豊富な資金力を活かして世界屈指の強豪クラブとなった。近年、急速に下部組織の強化を図っており、各年代毎にカテゴライズされたユースチームはそれぞれの年代でリーグ優勝するなどイングランドの中でも1、2を争う集団となっている。2008年にはマンチェスター・シティを中心としてシティ・フットボール・グループを創設し、メルボルン・シティFCニューヨーク・シティFCといったシティブランドを立ち上げた。

2017年1月、世界4大会計事務所である『デロイト』の調査によると、2015-16シーズンのクラブ収入は5億2490万ユーロ(約640億円)であり、世界第5位である。プレミアリーグではマンチェスター・ユナイテッドに次いで第2位である[3]。イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、選手の平均年俸は約740万ドルであり、FCバルセロナレアル・マドリードに次いで世界で3番目に高いクラブである。これはアメリカのスポーツチームで最も平均年俸が高いロサンゼルス・レイカーズニューヨーク・ヤンキースを上回る給与水準である[4]。2022年には、世界有数の経済誌『フォーブス』によるスポーツチームの資産価値の格付けにおいて42億5000万ドルと算出されており、世界のスポーツチームで24位にランクインした[5]

エンブレムについて。現在使用されているエンブレムには帆船・3本の川(アーウェル川・メドロック川・アーク川)・赤いバラ(ランカスター家の紋章)が描かれている。これは、それぞれマンチェスターを象徴するものである。
歴史詳細は「マンチェスター・シティFCの歴史(英語版)」を参照
創設

1880年より活動していたゴートン・アスレティックが1887年にウエスト・ゴートン(West Gorton)と合併し、プロ組織としてアーディックAFC(Ardwick Association Football Club)が結成された。1894年に現在のクラブ名になる。1904年にボルトン・ワンダラーズを下してFAカップを制し、クラブ初のタイトルを手にした。当時使用していたハイド・ローズ・スタジアムにイングランド史上初めて王室が訪れるなど、マンチェスター・シティは当初はイングランドの中心的なクラブとして存在した。1923年、火事によりハイド・ロード・スタジアムが全焼。85,000人規模のメイン・ロードに本拠地を移すこととなった。チームは1部と2部を行き来しながらも、リーグ優勝1回、FAカップ優勝2回、準優勝3回と強豪の一角として存在した。
数度のカップ獲得と低迷

シティは1930年代を最後に、長きに渡りタイトルから遠ざかり1部と2部を行き来するエレベータークラブになった。1955年にFAカップ決勝に進出しニューカッスル・ユナイテッドに敗れるも、翌年再び決勝に進出しバーミンガム・シティを3-1で破り3度目の優勝を果たす。しかしクラブは低迷し3部に落ちることもあった。1968年、ニューカッスル・ユナイテッドを破ってコミュニティ・シールドを制し、翌年にレスター・シティを破り13年ぶりのFAカップ優勝を遂げる。1970年にUEFAカップウィナーズカップを初優勝し、更に国内でもリーグカップを制しダブルを達成した。1976年に再びリーグカップを制した。

1979年には当時の移籍金記録を破る1450万ポンドでスティーブ・ダーリーを獲得するなど積極的に補強するも、リーグでは上位に浮上できないシーズンが続いた。1980年代に入ると暗黒時代に突入することになる。これまでの強みだったカップ戦でも優勝することができなくなり、チームは2部、3部と落ちていった。シティは80年代から00年代にかけてタイトルとは無縁の生活を送ることとなり、隣の宿敵マンチェスター・ユナイテッドが長い低迷の後、アレックス・ファーガソンを招聘して世界的な強豪になっていくのをただ見ていくだけとなった。2003年、約80年に渡りメインスタジアムとして使用していたメインロードからシティ・オブ・マンチェスター・スタジアムへ移った。
新オーナーによる投資

2007年7月6日、クラブの公式サイトでタイ前首相タクシン・チナワットの会長就任と前イングランド代表監督スヴェン・ゴラン・エリクソンの監督就任が発表された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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