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Mandom Corporation
本社ビル(大阪府)
種類株式会社
市場情報東証プライム 4917
2002年1月22日上場
本社所在地 日本
〒540-8530
大阪府大阪市中央区十二軒町5-12
設立1927年(昭和2年)12月23日
(金鶴香水株式会社)
業種化学
法人番号1120001090234
事業内容化粧品の製造販売
代表者西村健(代表取締役社長執行役員)
資本金113億9,481万7,459円
売上高連結:789億97百万円
単独:527億9百万円
(2019年3月期)
総資産連結:934億2百万円
単独:714億1百万円
(2019年3月期)
従業員数連結:2,914人、単独:646人
(2021年3月31日現在)
決算期3月31日
主要株主(公財)西村奨学財団:8.02%
日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口):7.17%
THE BANK OF NEW YORK 134105:4.64%
(2021年3月31日現在)
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株式会社マンダム(英: Mandom Corporation)は、大阪府大阪市中央区十二軒町に本社を置く、日本の化粧品メーカーである。主に男性用整髪料やフェイシャルペーパーを中心とした男性用化粧品においてシェアは国内トップに位置する。主力ブランドはギャツビー。 詳しい時期は不明だが、明治時代に大阪で創業され、輸入雑貨品を販売していた大崎組を前身とする。岡山出身の西村新八郎は、この大崎組に1908年(明治41年)に入社、フランスから輸入された香水に、自社ブランド名の「鶴香水」「金鶴香水」等の名を冠し販売していた。 その後、大崎組は1923年(大正12年)に倒産。1927年(昭和2年)、大阪市内で化粧品を扱う業者が合同で金鶴香水株式会社を設立する。西村は既に1915年(大正4年)時点で大崎組から独立して株式会社巴屋化粧品製造所の共同経営者になっていたが、ここで新たに金鶴香水の社長に就任、巴屋化粧品は1949年に吸収合併された。 1933年(昭和8年)、スティック状で使う分だけ、押し出して塗って髪を整える「丹頂チック」を発売。爆発的なヒットを記録し、これが同社を長年に渡って支え続けるロングセラー商品となり現在まで販売される。戦後を経て、その後も「丹頂ヘアトニック」「丹頂コールドクリーム」など、自社ブランド「丹頂」名の製品が多くなったことから、1959年(昭和34年)には丹頂株式会社に社名を変更。しかし1963年(昭和38年)に資生堂からシリーズ型男性用化粧品の先駆けとなる「MG5」が発売されると、一転してシェアは低下。一時倒産の危機に直面するが、1970年(昭和45年)にチャールズ・ブロンソンをイメージ・キャラクターに起用した「マンダム」シリーズを発売。当時テレビ放映されたCMの影響も手伝って、大ヒットを記録[1][2]。倒産寸前の窮地から復活を遂げる[1] と、1971年(昭和46年)にマンダムへと社名変更する[3]。 1978年(昭和53年)には、男性用化粧品「GATSBY」(ギャツビー)シリーズを発売、リニューアルを繰り返しながら主力ブランドになっている。また、1989年(平成元年)には、業界初の男性用無香料化粧品「LUCIDO」(ルシード)シリーズ、1993年には女性用頭髪製品「LUCIDO-L」(ルシード エル)を発売した。 「mandom」とは、現在は“Human & Freedom”の略である。元々は“Man Domain”(男の領域)という意味だったが、1984年に女性化粧品事業へ参入するのに伴い、Mandom の意味付けの変更をした。 2013年11月18日、主に50代以降にみられる加齢臭ではなく、30代 - 40代の『おやじ臭(おばさん臭)』の原因物質がジアセチルであることを特定した[4]。 2021年9月、VI(ビジュアル・アイデンティティ)を刷新し、コーポレートスローガンも「BE ANYTHING, BE EVERYTHING.」とした。 みどり会の会員企業であり三和グループに属している[5]。 年度出来事
概要
歴史旧ロゴ
1927年12月金鶴香水株式会社として設立される。
1932年11月金鶴香水株式会社の初代取締役社長に西村新八郎が就任。
1933年4月「丹頂チック」発売。
1952年頭髪製品の広告モデルに三船敏郎を起用。化粧品広告のモデルブームを生み出す。
1958年4月フィリピン・マニラ市にて海外事業の第一歩となる技術提携会社、丹頂コーポレーションが稼働。
1959年4月丹頂株式会社へ社名を変更。
1961年第2代社長に西村彦次就任。
1966年11月3日会長 西村新八郎逝去。
1969年11月インドネシア・ジャカルタ市に合弁による現地法人PT. Tancho Indonesiaを設立(現・連結子会社 PT. Mandom Indonesia Tbk)。
1970年4月チャールズ・ブロンソンと広告キャラクターとして契約。CMでのブロンソンの台詞「う?ん、マンダム」が、一躍流行語となった。ジェリー・ウォレスの歌うCMソング「男の世界」(再発盤レコードでは「マンダム?男の世界」と表記)にも「マンダム」のフレーズが登場。同曲のレコードは発売1年で120万枚を売り上げる[6] 大ヒットとなった。CMディレクターは大林宣彦が担当した[1][2]。
1970年6月輸出貢献企業として通産大臣の表彰を受賞('71年、'72年にも受賞)。
1971年4月株式会社マンダム(英文社名:「MANDOM CO., LTD.」)に社名変更。
1972年5月インドネシア工場にプラスティック成型部門が発足。
1972年10月日本ドクタ・ルノー化粧品株式会社を設立(現・連結子会社の株式会社ピアセラボ)。
1972年「マンダム・フーズフー」発売。イメージキャラクターとしてデヴィッド・ニーヴンを起用。
1976年3月福崎工場操業開始。
1976年11月福崎工場内にエアゾール工場が完成。
1978年5月代理店経由販売から、販売店直接取引(直販体制)に移行。
1978年7月男性化粧品「ギャツビー」シリーズを発売。同時にスポルディング社との商標契約でスポーツイメージの化粧品「スポルディング」シリーズを販売。
1980年8月第3代社長に西村育雄就任。販売店直接取引を廃止し代理店経由販売に戻す。
1981年「ギャツビー」のイメージキャラクターに萩原健一を起用。