マンケイト_(ミネソタ州)
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マンケイト市
City of Mankato

市中心部のノース・リバーフロント・ドライブ商業地区
愛称 : "Key City"
標語 : "Mankato - Now Playing"
位置

右: ミネソタ州におけるブルーアース郡の位置
左: ブルーアース郡におけるマンケイトの市域
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯44度10分3秒 西経94度0分8秒 / 北緯44.16750度 西経94.00222度 / 44.16750; -94.00222
歴史
創設1852年
行政
アメリカ合衆国
 州ミネソタ州
 郡ブルーアース郡
ニコレット郡
ルシュール郡
 市マンケイト市
地理
面積 
  市域50.36 km2 (19.44 mi2)
    陸上  49.42 km2 (19.08 mi2)
    水面  0.93 km2 (0.36 mi2)
標高238 m (780 ft)
人口
人口2020年現在)
  市域44,488人
    人口密度  900.2人/km2(2,331.7人/mi2)
  都市圏103,566人
その他
等時帯中部標準時 (UTC-6)
夏時間中部夏時間 (UTC-5)
公式ウェブサイト : https://www.mankatomn.gov/

マンケイト(マンケート、マンケイトーなどとも、Mankato [ma??ke?to?] )は、アメリカ合衆国ミネソタ州南部に位置する都市。ミネアポリスセントポールの南西約120kmに位置する。市域の大部分はミシシッピ川の支流であるミネソタ川の南東岸、ブルーアース郡内に広がるが、一部は隣接するニコレット郡ルシュール郡にもかかっている。人口は44,488人(2020年国勢調査[1]で、ミネアポリス・セントポール都市圏外の都市としてはロチェスターダルースセントクラウドムーアヘッドに次ぐ規模である(ミネソタ州全体では22位)。ブルーアース・ニコレット両郡から成る[2]都市圏は103,566人、この都市圏にニューウルム小都市圏(ブラウン郡)を加えた広域都市圏は129,478人(ともに2020年国勢調査)[3]の人口を抱えている。
歴史マンケイトの開拓者の1人、ヘンリー・ジャクソン(1811-57年)。セントポール市最初の治安判事、同市最初の郵便局長、および第1回ミネソタ準州議会議員を務めた[4]

現在のマンケイト市があるこの地には、何千年にもわたって様々な部族の先住民が住んできた。ヨーロッパ人が東海岸に入植し始めると、入植者に追われた先住民の諸部族がこの地に移入してきた。 19世紀中盤には、この地にはダコタ語を話す4つの部族が主に住み着いていた。その頃、この地はダコタ語で「緑にあふれた青い地球」を意味するMahkatoと呼ばれていた[5][6][7]

この地を訪れた最初のヨーロッパ人はフランスの探検家ピエール・ルジュールであった。ル・シュールは1683年、ブルーアース川がミネソタ川に合流するこの地にたどり着いた。ミネソタ川の河畔で青緑色の土を見つけたル・シュールは、その土がを含んでいるものと信じ、その標本をフランスに持ち帰った。化学者の鑑定によってその土に銅が含まれていることが判ると、1700年にル・シュールはこの地に戻り、その化学者の名を冠したル・ヒリアー砦を建てて採掘を始め、4,000ポンド(1,800kg)の鉱石を船に積んでミネソタ川からミシシッピ川を下らせた。しかし鉱石がフランスに届いたかは定かではなく、採掘もそれ以上進められることはなく、1702年にル・ヒリアー砦は放棄された[7]

この地に恒久的な入植地が創られたのはそれから150年後のことであった。1850年に就航した州都セントポールからミネソタ川を上る蒸気船[7]や、その翌々年、1852年に開通したセントポール・マンケイト間の馬車[5]の存在によって、この地への白人入植者は急増した。その一方で、ダコタ・スー族は郡西部の、またウィネベーゴ族は郡東部の居住地へと追いやられていった[7]。1852年2月、パーソンズ・K・ジョンソンとヘンリー・ジャクソンの2人の白人がこの地に入植地を創設した[5][6][7]。この時入植地の名としてつけられたMankatoは、もともとのダコタ語の地名であったMahkatoの"h"を"n"と間違えたことによるもので、以後Mankatoのほうがそのまま定着してしまった[5][6][7]。翌1853年にはブルーアース郡が創設され[7]、その郡庁がマンケイトに置かれることになった[5]ダコタ族38人の処刑(1862年)

白人入植者の急増はやがて、先住民と入植者との間に軋轢を生むことになった。1862年8月、困窮したダコタ・スー族は蜂起し、白人入植者に対して攻撃を仕掛けた(ダコタ戦争)。この暴動は鎮圧され、同年12月26日、マンケイトで38人のダコタ・スー族が処刑された[7][8]

1868年、マンケイトに最初の鉄道が開通した。また、同じく1868年には、ミネソタ州立大学マンケイト校の前身であるマンケイト師範学校が創立した[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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