マルメ
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マルメ
Malmo
一番左上から右に向かって、ターニング・トルソ、マルメヒュース、グリフィンの彫像、クロンプリンセンとエーレスンド橋


紋章

標語: Mangfald, Moten, Mojligheter
(多様性、出会い、可能性)
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 スウェーデン
地方スコーネ地方
スコーネ県
自治体マルメ自治体(英語版)
ブーレーヴ自治体(英語版)
都市の特許13世紀
政府
 ? 市長イマール・レーポル(英語版) (SAP)
面積[1]
 ? 都市332.6 km2
 ? 陸地157 km2
 ? 水域176 km2
 ? 都市圏2,522 km2
人口(2021年12月31日)[2][3]
 ? 都市351,749人
 ? 密度4,049人/km2
 ? 都市圏749,427人
等時帯UTC+1 (CET)
 ? 夏時間UTC+2 (CEST)
ウェブサイトwww.malmo.se/english ⇒www.malmotown.com

マルメ(スウェーデン語: Malmo [?mal??mo?] ( 音声ファイル), デンマーク語: Malmo [?malm?o?])は、スウェーデン最南部のスコーネ地方にある都市。ストックホルムヨーテボリに次いでスウェーデンでは3番目に多い人口を有するスカンジナビアの大都市の1つで、マルメ自治体(英語版)とスコーネ県の行政的な中心である。都市のほとんどの行政区域はマルメ自治体(英語版)で8つの地区に分かれており、2012年1月現在の人口は302,835人である。都市的地域の人口は2021年12月現在351,749人であった。

大マルメ(英語版)はスウェーデンで3つの公式に認められた都市圏 (storstadsomraden) の1つで、2005年からマルメ市と他のスコーネ県南西部の11の自治体が定められている[4]。2021年3月31日現在、人口は749,427人であった[3][5]。都市圏は2522km2の範囲を占めている[1]。これらの自治体にはマルメ自治体を始めとして、ブーレーヴ自治体(英語版)、エースレーヴ自治体(英語版)、ヘーエール自治体(英語版)、シェーヴリンゲ自治体(英語版)、ロンマ自治体(英語版)、ルンド自治体(英語版)、スクループ自治体(英語版)、スタッファンストルプ自治体(英語版)、スヴェーダーラー自治体(英語版)、トレレボリ自治体(英語版)、ヴェッリンゲ自治体(英語版)が含まれる。ブーレーヴ自治体(英語版)はマルメ都市的地域(英語版) (Malmo tatort) に含まれる。ルンド自治体の人口は10万人を超え、スカンジナビアの著名な大学であるルンド大学がありマルメと共に地域の経済や教育の中心である。

マルメはスカンジナビアの街の中では最初に産業化が進んだが、脱工業化ではその適応に苦しんだ。オーレスン・リンク(オーレスン橋)が建設されて以来、マルメは大きな変化を遂げる。印象的な建物の開発や、新しいバイオテクノロジーやIT企業の誘致などがあり、中でも特筆されるのは学生を惹きつけるマルメ大学である。市街には多くの歴史的な建物や公園が含まれ、そこにはスコーネ地方西部の商業の中心も含まれる。マルメではここ数年、大学が設立され、街は教育や芸術、文化に焦点を当てようとしている。2007年にマルメはアメリカのオンラインマガジングリスト(英語版)の「15の緑の都市」で4位にランクした[6]

マルメをコペンハーゲンの都市圏や大都市圏の一部と見なす向きもあり、エーレスンド海峡Oresund周辺の街で構成されていることからエーレスンド地域スウェーデン語: Oresundsregionen, デンマーク語: Oresundsregionen)と呼ばれる。
歴史

マルメを含むスコーネ地方(Skaneland) は歴史的にはデーン人の勢力範囲でデンマークに属し、マルメは1275年に20km北東に離れたルンドの大主教の要塞化された埠頭や渡船場として創建されたと考えられている。もとの名称はマルムハウクMalmhaugで「砂利や小石の山」、「鉱石の丘」という意味であった。その後、発展しデンマーク有数の都市となった。ドイツの地図書による1594年のマルメ。マルメ城は左端で、教会の塔は聖ペトロ教会。

15世紀、マルメはデンマーク最大の都市となり人口は約5,000人に達していた。エーレスンド海峡周辺では一番重要な街となり、ドイツのハンザ同盟の都市と共に活気があったニシン漁の注目される市であった。その間、1437年に都市の紋章がデンマーク王エーリク7世により与えられた。紋章はエーリク自身のアージェントグリフォンギュールズのポメラニアからの紋章を基礎としている。グリフォンの頭はマルメに与えられたが、結局スコーネ全体に広がった。

1434年、新しい城塞が街の南の砂浜に造られた。この城塞は今日ではマルメヒュース(英語版)Malmohusとして知られるが、16世紀半ばまでは今日の姿は表さなかった。いくつかの他の城塞も造られ、マルメはスウェーデンでは最も城塞化された都市であったが、現在ではマルメヒュースが残るだけである。ルーテル教会の教えは16世紀に広く行き渡り、マルメはスカンジナビアの都市の中では完全に改革された(1527?29年)最初の都市の1つであった。

17世紀、スコーネ地方はスウェーデンの支配に入った。戦いはまだ終わっていなかったが、1677年6月に14,000のデンマークの軍勢がマルメを1ヶ月包囲したがそれを保持していたスウェーデン軍を攻略することは出来なかった。この出来事は、1658年に署名されたロスキレ条約の後に起こっている。18世紀になる直前のマルメの人口は2,300人であった。しかしながら、カール12世の戦争と腺ペストの流行によって人口は1727年には1,500人に減少した。18世紀後半に近代的な港が建設されるまで、人口はあまり増加しなかった。街の拡大が始まると、1800年には38,054人の住民を擁した[7]1913年のマルメ

1840年にコックムスの造船所が設立され、世界でも最大規模の造船所の1つになった。1856年から1864年の間に南部幹線鉄道(英語版)Sodra stambananが建設され、大きな織物産業や機械産業など製造業の中心となることを可能にした。1870年にマルメはノーショーピングを上回り、スウェーデンでは3番目に人口が多い都市になり1900年にマルメは60,000人の人口でその位置を固めた。マルメは20世紀前半を通して成長が続き、人口は1915年には10万人、1952年に20万人と急増した。

1970年代半ばにスウェーデンでは景気後退に遭い、工業部門である造船や製造業ではとくに深刻でスコーネの多くの都市では高い失業率に至った。コックムスの造船所は最大の雇用主としてマルメのシンボルになっていたが、1986年に造船が終わると政治家や庶民の間では将来のマルメに対する安心が急に落ちた。これに加えて、多くの中間層はヴェッリンゲ自治体(英語版)やロンマ自治体(英語版)、スタッファンストルプ自治体(英語版)など周辺部の自治体の一戸建てに移り、郊外のアッパーミドルクラスとしてそれらを浮かび上がらせた。1985年、マルメは35,000人の人口を失い22万9,000人に低下した。

1990年代初期のスウェーデンの金融危機によってマルメの工業都市としての後退は悪化し、1990-95年の間に27,000の雇用が失われ経済は深刻な苦境に陥った。しかしながら、1994年に新しい市長であるイマール・レーポル(英語版)下でマルメ市は文化と知識の中心として自らを再概念化し、1995年には底を打ち同年、大規模なエーレスンド橋プロジェクトの開始が明らかになった。新しいマルメ大学が1998年に以前のコックムスの波止場周辺に開設され、今では使われなくなった南-西部の港の更なる再開発が行われた。都市建築博覧会であるBo01(スウェーデン語版)が2001年に再開発エリアで開催され、建物やヴィラはミドルクラスや魅力的なウォーターフロントの眺望を目的とした新しいコアとなる市街を形成している。

1974年以来、マルメのランドマークであり街の製造業のシンボルであったコックムス・クレーン(英語版)は、2002年に分解され韓国に移された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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