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マルベル堂 プロマイド店
マルベル堂(マルベルどう)は、株式会社マルベルが経営する、日本で唯一のプロマイド販売店。
昭和の映画俳優・女優や歌手、アイドルを中心に、マルベル堂専属カメラマンが撮影し、プロマイドを出版したスターの数は約2800名。保有するネガは8万5000版を超える。 洋食店を営む三ツ澤実四郎が、経営不振だった洋食店の売上を少しでも上げようと、自らがコレクションしていた外国映画のスチールや俳優の写真を販売していた。1921(大正10)年、自身の誕生日である5月5日にマルベル堂を開業し、映画スターの写真「プロマイド」の販売を始めた。プロマイド第1号のスターは松竹蒲田の人気女優・栗島すみ子。1923(大正12)年には卸部を開設、販路を拡大したが、同年に発生した関東大震災で被災。復興後、映画スター100名を網羅した「人気俳優番付」を年2回発行。年間発行部数は20万部にのぼった。 映画産業の発展とともにプロマイド愛好者は増え続け、マルベル堂も快調に業績を伸ばした。撮影スタジオや製作工場など設備を整え、撮影・製造・販売までを体系化してプロマイド出版を確立。第二次世界大戦下においては当局から出版中止を勧告されたが、プロマイドの存在意義を主張し、戦線将校の慰問用として出版を認められた。しかし、1945(昭和20)年3月10日、東京大空襲でほとんどの店舗・施設が焼失。三ツ澤実四郎は長野県松本市に戦時疎開したが、終戦すると、マルベル堂の再起を発表。戦災で失われた事業回復に邁進した。戦後、長谷川一夫や大川橋蔵、鶴田浩二、石原裕次郎などの映画スターや、美空ひばり、舟木一夫らといった歌手、ザ・スパイダース、オックス、ザ・ゴールデン・カップス、ザ・タイガースなどのグループサウンズ、そして岡崎友紀や南沙織、新御三家をはじめとするアイドルへとプロマイドの撮影は変遷。マルベル堂でプロマイドを撮影し、販売することがステータスとされ、多くのスターが浅草のマルベル堂スタジオにて撮影を行い、その売上ランキングは人気のバロメーターになっていた。1973(昭和48)年ごろからカラーフィルムでのプロマイド撮影を開始。カラーテレビの一般家庭への普及によりアイドル黄金時代を迎え、プロマイドも全盛時代を迎える。[2] 1980年代後半より、音楽番組が激減しアイドルブームが衰退。それに伴いプロマイドの需要は減少した。2000年代になると昭和レトロがブームとなり、昭和文化の象徴のひとつとして、当時を知らない世代にもマルベル堂のプロマイドが注目を浴びることとなる。 スターをマルベル堂専属カメラマンが撮影し、マルベル堂で製造・出版された写真。印画紙そのものを指す「ブロマイド」から、マルベル堂では「プロマイド」と呼称。8.9cm×14cmのオリジナルサイズで、1枚ずつ「プロマイド MARUBELL」の印字入りビニールに入った状態で販売されている。 プロマイドの引き延ばしやパネル加工の受注のほか、1970?1980年代のアイドルのプロマイドを使用したマルベル堂のプロマイドトランプ(男性編・女性編)、昭和歌謡の歌手45名のプロマイドを使用した昭和スターかるた、美空ひばりのプロマイドを使用した美空ひばりかるたを販売している。 ラミネートカードや下敷、ジグソーパズルなど1980?1990年代のアイドルグッズ、洋画や海外スターの写真・ポストカード、海外キャラクターのトレーディングカードなど。[3]
沿革
1921年(大正10年)5月5日 三ツ澤実四郎が東京市浅草区浅草馬道町1丁目(現:台東区浅草1丁目)にマルベル堂を創業。
1930年(昭和5年) 荒川区千住仲居町に写真製作工場を開設。
1931年(昭和6年) 浅草区浅草花川戸町に第2工場を開設。
1936年(昭和11年) 浅草寿町1丁目に撮影スタジオと製作工房を併せた「ベルスタジオ」を新設。撮影から製作まで完全な自社出版を確立する。
1945年(昭和20年) 東京大空襲により店舗、工房のほとんどが焼失。終戦後、花川戸に工場、浅草区役所(現:浅草公会堂)横にスタジオを開設する。
1948年(昭和23年) 株式会社マルベルを設立。
1950年(昭和25年) ベルスタジオの隣接地に、プロマイド撮影に来るスターの美粧室として「ミクニバーバー」、撮影待ちのスターにコーヒーや食事を出す「レストランベル」開設。
1953年(昭和28年) 三ツ澤正治が代表取締役に就任し、「三六工房」設立。D.P.E業務や映画会社・レコード会社の宣伝写真などを製造。中央区東銀座に「銀座ベルスタジオ」新設。
1960年(昭和35年) 駒形工房、中山工房を新設。
1963年(昭和38年) 新設された東芝日野工場の社員食堂に産業給食参入
1965年(昭和40年) 東京、名古屋、大阪、福岡、仙台、札幌に営業所を設立。全国に2000の小売店を展開する。葛飾区高砂に、プロマイドを入れる額縁を作る製額工房を開設。
1970年(昭和45年) 「金多丸食品」設立。
1971年(昭和46年) 葛飾区細田に新工場開設。
1976年(昭和51年) 五十嵐義幸が社長に就任。「丸鈴額祿」を創立する。代わって斉藤午之助が社長に就任。
1977年(昭和52年) オリエンタル写真株式会社と業務提携し、プロマイド製造をオートメーション化。
1997年(平成9年) 三ツ澤博が社長に就任。
2009年(平成21年) 株式会社マルベルが株式会社金多丸食品と合併(マルベル・カネタマルフーズ事業部)。
2011年(平成23年) 創立90周年記念コンサート開催。
2014年(平成26年) 一般客向け80年代風プロマイド撮影プラン「マルベル80’s」スタート。
2015年(平成27年) 撮影スタジオを台東区雷門1丁目に移転。[1]
歴史
創業期
昭和期
平成以降
主な商品
プロマイド
プロマイド関連商品
プロマイド以外の商品
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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