マルヌ=ラ=コケット
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Marnes-la-Coquette


行政
フランス
地域圏 (Region)イル・ド・フランス地域圏
(departement)オー=ド=セーヌ県
(arrondissement)ブローニュ=ビヤンクール郡
小郡 (canton)シャヴィル小郡
INSEEコード92047
郵便番号92430
市長任期)クリスティアーヌ・バロディ=ヴァイス
2008年-2014年
自治体間連合 (fr)メトロポール・デュ・グラン・パリ
人口動態
人口1 647人
2010年
人口密度473人/km2
住民の呼称Marnois
地理
座標北緯48度49分34秒 東経2度11分36秒 / 北緯48.8261111111度 東経2.19333333333度 / 48.8261111111; 2.19333333333座標: 北緯48度49分34秒 東経2度11分36秒 / 北緯48.8261111111度 東経2.19333333333度 / 48.8261111111; 2.19333333333
標高最低:105 m
最高:178 m
面積3.48km2 (348ha)
Marnes-la-Coquette
公式サイト ⇒marnes-la-coquette.fr
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マルヌ=ラ=コケット (Marnes-la-Coquette)は、フランスイル=ド=フランス地域圏オー=ド=セーヌ県コミューン。県内で最も人口の少ないコミューンである。パリの西にあり、サン=クルー公園とフォーズ・ルポズの森の間にある。非常に森の多い町は、ナポレオン3世ドメーヌであったヴィルヌーヴ・レタンの周囲で発展した。かつてのかわいらしく静かな村の佇まいを今も残している。2009年、マルヌ=ラ=コケット住民の平均収入は86,456ユーロであった[1]
目次

1 地形

2 交通

3 由来

4 歴史

5 政治傾向

6 人口統計

7 史跡

8 ゆかりの人物

9 脚注

地形

面積は348ヘクタールで、標高は105mから178mの間である[2]。町は東西の森林地帯に挟まれている。土の一部は泥灰土(en、フランス語ではmarne)であり、地名の由来となっている。パリ地域で最も森の多いコミューンの1つである。
交通

道路 -
A13、国道307号線

鉄道 - トランジリアンL線、ギャルシュ-マルヌ=ラ=コケット駅

由来

1859年、デクレによってナポレオン3世はマルヌの小さな町にマルヌ=ラ=コケットの名を許可した。当時、この地はマルヌ=レ=サン=クルー(Marnes-les-Saint-Cloud)と呼ばれていた。実際、長い間サン=クルーに依存してきたからである。13世紀初頭のパリ司教オドン・ド・シュリーが、自らが所有する森の中に新しい村(village)を作ろうとしたとき、全てが始まった。マルヌという名はまさに石灰質の土に由来し、そこでは泥灰土が見つかっていた[3] · [4]
歴史 パストゥールの胸像

1852年、共和国大統領ルイ・ナポレオン・ボナパルト(のちのナポレオン3世)はヴィルヌーヴ・レタンのドメーヌを購入した。このドメーヌはフランス第一帝政時代にはニコラ=ジャン・ド・デュ・スールトが所有し、その後はマルヌ伯爵夫人(comtesse de Marnes)の称号を持っていたフランス王太子妃・アングレーム公爵夫人マリー=テレーズ・ド・フランスの財産だった。皇帝に即位してから自らがサン=クルー城に住むと、自らの警護隊であるサン・ギャルド戦隊(fr)を住まわせるためマルヌに一戸建て住宅を建設した。1859年から1860年にかけ、マルヌの町の中心部に皇帝は、皇后ウジェニー・ド・モンティジョの名にちなんでサントゥジェニー教会を建設した[5] · [6][7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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