ドイツ国の政治家マルティン・ボルマンMartin Bormann
全国指導者の襟章を佩用するボルマン
生年月日1900年6月17日
出生地 ドイツ帝国
プロイセン王国
ザクセン州
マルティン・ボルマン
Martin Bormann
所属組織 ドイツ帝国陸軍
突撃隊
親衛隊
軍歴1918年 - 1919年
(ドイツ帝国陸軍)
1927年 - 1945年
(突撃隊)
1931年 - 1945年
(親衛隊)
最終階級
突撃隊大佐
親衛隊大将
除隊後政治家
戦争犯罪人
ニュルンベルク裁判
欠席被告人
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マルティン・ルートヴィヒ・ボルマン(ドイツ語: Martin Ludwig Bormann、1900年6月17日 - 1945年5月2日)は、ドイツの政治家。国家社会主義ドイツ労働者党官房長として総統アドルフ・ヒトラーの側近を長らく務めた。名はボアマンと表記されることもある。
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)総統アドルフ・ヒトラーの側近・個人秘書を務め、その取り次ぎ役として権力を握った。副総統ルドルフ・ヘスの失脚後は党官房長となり、党のナンバー2となった。親衛隊名誉指導者でもあり、親衛隊における最終階級は親衛隊大将。ヒトラーの政治的遺書によってナチ党の党首にあたる党担当大臣として指名されたが、ベルリン陥落の混乱の中で消息を絶った。戦後長い間行方不明とされてきたが、総統地下壕脱出の際に青酸で服毒自殺していた事が近年証明された[1][2]。
略歴
生いたち(ドイツ語版)(現在はザクセン=アンハルト州)のハルバーシュタット近郊のヴェーゲレーベン(ドイツ語版)に生まれた。父は郵便局員テオドール・ボルマン(Theodor Bormann)。母はその妻で郵便代理人の娘アントニエ(Antonie)(旧姓メノング、Mennong)。父テオドールは短期間だがプロイセン胸甲騎兵連隊の軍楽隊でトランペット奏者をしていたことがある[3]。父の軍内での階級は特務曹長だった[3][4]。
テオドールとアントニエの夫妻には二人の息子があり、ボルマンは長男だった。弟にアルベルト・ボルマンがいる。ボルマンの「マルティン」の名は宗教改革家マルティン・ルターに因んで名付けられた[3]。父テオドールは1903年、ボルマンが3歳の時に死亡した。半年後、母アントニエは生活を安定させるため、銀行支店長アルベルト・フォルホルン(Albert Vollhorn)と再婚した[3][4][5]。