マルティニ・ヘンリー銃
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マルティニ・ヘンリー Mk.1~4マルティニ・ヘンリー Mk.1 小銃
マルティニ・ヘンリー Mk.1~4
種類軍用小銃
製造国 イギリス
設計・製造王立小火器工廠
年代19世紀
仕様
種別後装式小銃
口径11.6mm(0.455インチ)
使用弾薬.577/450マルティニ・ヘンリー弾
装弾数1発
作動方式フォーリングブロック・アクション方式
全長1245mm(49インチ)
重量3.827kg
発射速度12発/分
銃口初速380m/秒
最大射程1900ヤード (約1700m)
有効射程400ヤード (約370m)
歴史 
設計年1870年
製造期間1871年 - 1891年
配備期間1871年 - 1888年
配備先イギリス帝国とその植民地、アフガニスタン首長国、エジプト・スルターン国、セルビア王国、トランスヴァール共和国、ネパール王国、ルーマニア公国
関連戦争・紛争イギリス植民地戦争、第二次アフガン戦争、第二次エジプト=イギリス戦争(英語版)、ズールー戦争ボーア戦争マフディー戦争第一次世界大戦
バリエーションマルティニ・ヘンリー カービン
グリーナー警察用散弾銃
製造数約50万~100万挺
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マルティニ・ヘンリー銃(マルティニ・ヘンリーじゅう、英:Martini-Henry)は、イギリスで採用された後装式・レバー作動方式の小銃である。作動にはフリードリッヒ・フォン・マルティニ(ドイツ語版)の設計(特定箇所や、基本形状がヘンリー・O・ピーボディ(英語版)の開発したピーボディ銃(ドイツ語版)と類似しているとして、しばしば指摘されている)が加えられ、施条の入った銃身の設計は、銃匠であるスコッツマン・アレクサンダー・ヘンリー(英語版)が行った。この銃が軍務に就いたのは1871年のことで、スナイダー・エンフィールド銃と代替された。また派生型は30年間を通じてイギリス帝国に用いられた。本銃は、金属製薬莢を採用した真の後装式としては、最初のイギリス軍制式小銃であった。

マルティニ・ヘンリー銃には4つの形式が存在する。マークI(1871年6月開発)、マークII、マークIII、マークIVである。また、1877年には派生型の一つにカービン銃が存在し、これはガリソン砲兵用カービン銃として分類される砲兵用カービン(マークI、マークII、マークIII)であり、またより小型の派生型が陸軍士官学校の訓練用小銃として設計された。マルティニ・ヘンリー小銃のマークIVは1889年に生産終了した。しかし、大英帝国における軍務での使用は第一次世界大戦の終結まで続き、アフガニスタンでは、少数が部族民の手によりソ連アフガン侵攻に対して使用されている他、アフガニスタン紛争でも2010年後半から2011年にかけてはアメリカ海兵隊アメリカ陸軍第101空挺師団が、ヘルマンド州マルジャー(英語版)近郊でのターリバーンとの戦闘(モシュタラク作戦(英語版))で数度に渡りマルティニ・ヘンリー銃を鹵獲した[1]

マルティニ・ヘンリー銃は、パキスタン北西辺境州の銃器製作者たちによって大規模に複製された。彼らの製作した兵器は、エンフィールド王立小火器工廠と比較して製造品質は低かったが、プルーフ・マーク(英語版)などの品質刻印なども含めた刻印類まで正確に複製されていた。主な製作者たちはダッラ・アダム・ケール(英語版)在住のアフリディ族(英語版)である。彼らはカイバル峠の周辺に居住していた。このため、イギリスの言葉でこのような兵器はPass made rifles(峠製の銃(英語版))と呼ばれた。カイバル峠で密造されるマルティニ・ヘンリー銃の中には、拳銃型のものさえ存在しており、骨董品と見紛いかねない精巧な「老化」仕上げと、真正の英国製制式小銃(英語版)より正確に写し取られた刻印が巧妙に配置されていることから、国際治安支援部隊に参加している兵士(主にウォー・トロフィー(英語版)に対する銃規制が緩いアメリカ軍兵士)達の間では、珍しい骨董品と誤認して母国に持参するものも少なくないという。アンティーク銃器を専門に取り扱う米国のロック・アイランド・オークション社にも何度かこのようなマルティニ・ヘンリー拳銃が持ち込まれた事があるが、同社の鑑定士たちは「観光土産の為に非常に高度な複製技術力を駆使し、実際の使用を意図していない、ある意味馬鹿馬鹿しいジャンク品を造っている一例」と評している[2]
概観(左から右の順に).577 スナイダー実包、ズールー戦争時代の真鍮板を巻いて成形した.577/450 マルティニ・ヘンリー実包、引き抜き成形された後期型真鍮製.577/450 マルティニ・ヘンリー実包、.303ブリティッシュ Mk.7 SAA 通常弾実包

オリジナルの装填方式を持つこの銃は、直径.451インチ(11.455mm)、重量480グレイン(31.104g)の鋳造弾丸(英語版)を射出する。弾丸は起縁式薬莢にはめられており、今日この薬莢は.577/450実包として知られている。この実包は薬莢がボトルネック型に設計されており、基本はスナイダー・エンフィールド銃の.577実包と同じである。また、85グレイン(5.51g)の発射薬を用い、強力な反動が特徴である。空薬莢はレバー操作により後方から排出される。

小銃の全長は49インチ(124.5cm)であり、鋼鉄製の銃身は33.22インチ(84cm)である。ヘンリーの施条の特許はヘプタゴナル(七角形)銃身の設計であり、七つの腔綫が22インチ(55.88cm)で一回転した。この兵器の全重は8ポンド7オンス(3.83kg)である。伍長から曹長までの陸軍下士官には銃剣が標準的に支給されており、着剣時には長さが延長されて68インチ(172.7cm)、重量は10ポンド4オンス(4.65kg)に増大した。

標準的な銃剣はソケットタイプの刺突剣(英語版)であり、1853年型の旧式の銃剣(全長20.4インチ)や、1876年型の新式の銃剣(全長25インチ)と互換性があった。また、エルコー卿(英語版)の開発した銃剣は叩き斬ることを目的にしており、他に非戦闘のいろいろな用途に使えた。これには二列の歯が追加されており、鋸としても使えた。しかし大量生産はされず、標準的な支給品にはならなかった。

本銃は1,400ヤード(1,300m)を照準できた。射程1,200ヤード(1,100m)では、射出された20発が標的の中央から27インチ(69.5cm)の散布界に入るという平均的な偏りを示しており、弾道の最高点は、500ヤード(450m)における高さ8フィート(2.44m)である。

エンフィールド・マルティニ銃は0.402口径のモデルで、安全装置のようないくつかのマイナーな改善を取り入れており、マルティニ・ヘンリー銃を代替するために1884年以前から段階的に導入された。代替が段階的なのは既存の古い弾薬のストックを使い果たすためである。

しかしながらこれが完了する前に、マルティニ銃をリー・メトフォード銃で刷新する決断がなされた。.303口径のこの銃はボルトアクション作動で弾倉が装備されており、かなり高い発射速度を与えた。従って軍務に3種の異なるライフル口径を採用するのを避けるために、エンフィールド・マルティニ銃は退役させられ、マルティニ・ヘンリー銃は0.45口径に換装された上で、「A」および「B」型小銃に改名した。また、黒色火薬を用いる0.303口径でカービン形式の派生型が少数生産され、これはマルティニ・メトフォード銃と呼ばれたほか、0.303口径でコルダイト火薬仕様のカービン銃もあり、マルティニ・エンフィールド銃(英語版)と呼ばれた(エンフィールド・マルティニ銃と対照である)。

マルティニ・ヘンリー銃が軍務での運用を終えるまでの間に、英国陸軍は数多くの植民地戦争に巻き込まれたが、最も注目すべきものは1879年に起きたズールー戦争である。本銃は、ロークス・ドリフトに進出していた第24歩兵連隊、第2大隊所属の中隊によって使われた。この戦闘中、139名の英軍兵士が約1,000名のズールー戦士による攻撃に対抗し、防衛に成功した。このマルティニ・ヘンリー銃の段階的な代替は1904年まで完了しなかった。

本銃は、ロークス・ドリフトの戦いに先立つイサンドルワナの戦い(英語版)などで起こった、英軍部隊の敗北に関して(拙劣な戦術と数的不利に加え)部分的に責を負うものとされる。マルティニ・ヘンリー銃は最高水準の技術にあったが、アフリカの気候の中において、酷使された後の本銃の作動には、過熱や詰まりを起こす傾向があった。これらから結果的にブリーチブロックを動かして小銃に再装填することが難しいものになった。問題の調査後、英軍兵器部は、原因が巻いて成形される真鍮製薬莢の脆弱な構造にあること、詰まりや汚染を起こすのは黒色火薬を用いた発射薬が主因であると決定した。これを修正するため、薬莢が脆弱な巻いて作る真鍮製のものから、強靭な引き抜き成形の真鍮製のものに換えられ、機関部が不具合を起こしたときにはより強いトルクで作動させられるよう、延長された装填レバーが取り付けられた。これらの後期派生型は戦闘において高い信頼性を持っていた。グリーナー-マルティニ軽捕鯨銃

稀少な散弾銃仕様の派生型がグリーナー警察用散弾銃(グリーナー-マルティニ銃とも)として知られており、特別な実包を装填する。薬室形状と実包の特殊な形状から、この兵器は盗まれても弾薬の共用性がなく、利用できなかった[3]。この銃は二連散弾銃(英語版)で著名なW.W.グリーナー(英語版)により製造され、リーズにある王立兵器博物館で見ることができる[4]。W.W.グリーナーは後年、グリーナー-マルティニ散弾銃を元にした小型の捕鯨銃も製造した。ガヘンドラ小銃

もう一種の派生型はガヘンドラ小銃(英語版)で、ネパールの地域で生産された。設計は基となったマルティニ・ヘンリー銃からやや進んでいるが、しかしこの銃は手製であることからその性能には様々な差がある。なお、ガヘンドラ銃はマルティニ・ヘンリー銃と英陸軍制式採用を争った1869年式ウェストリー・リチャーズ銃(英語版)の設計が元になっているとする資料もある[5]。ウェストリー・リチャーズ銃は外見はマルティニ・ヘンリー銃と類似したフォーリングブロック・アクションの小銃であるが、撃発機構はマルティニ・ヘンリー銃がストライカー式なのに対して、ウェストリー・リチャーズ銃は内蔵ハンマー方式となっており、内部構造上はほぼ別物である[6]

マルティニ・ヘンリー銃は、第一次世界大戦の様々な任務にも主に補助兵器として投入された。


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