マルチン・ヴァシレフスキ
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マルチン・ヴァシレフスキ


名前
愛称Wasyl
ラテン文字Marcin Wasilewski
基本情報
国籍 ポーランド
生年月日 (1980-06-09) 1980年6月9日(43歳)
出身地クラクフ
身長186cm
体重88kg
選手情報
ポジションDF (右SB, CB)
利き足右足

クラブ1
年クラブ出場(得点)
1999-2000 フットニク・クラクフ
2000-2002 シロンスク・ヴロツワフ 51 (5)
2002-2005 ヴィスワ・プウォツク 60 (3)
2005-2006 アミカ・ウロンキ 24 (4)
2006 レフ・ポズナン 14 (5)
2007-2013 アンデルレヒト 143 (20)
2013-2017 レスター・シティ 61 (1)
2017-2020 ヴィスワ・クラクフ 57 (1)
通算464 (39)
代表歴
2002-2013 ポーランド60 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルチン・ヴァシレフスキ(Marcin Wasilewski, 1980年6月9日 - )は、ポーランドクラクフ出身の元サッカー選手、元ポーランド代表である。現役時代のポジションはDF(右サイドバック及びセンターバック)。弟のパヴェウ (Pawe?) も同じくサッカー選手である[1]
経歴
クラブ
ポーランド

母国ではフットニク・クラクフ(ポーランド語版)、シロンスク・ヴロツワフヴィスワ・プウォツクでプレーし、2005年にアミカ・ウロンキ(ポーランド語版)へ移籍したが、同クラブは2006年5月にレフ・ポズナンと統合され、そのままレフ・ポズナンでプレーした。
アンデルレヒト

2007年1月16日にベルギー1部RSCアンデルレヒトと契約[2] し、1月28日のKベールスホットAC戦 (3-1) で初出場を飾ると、81分にムバラク・ブスファフリーキックから頭で初得点を記録した[3]。2008-09シーズンには右サイドバックでありながら、チーム3位の8得点を挙げている。

2009年8月30日のスタンダール・リエージュ戦 (1-1) で24分に相手MFアクセル・ヴィツェルの悪質なタックルを受け、開放骨折により8ヶ月の離脱を余儀なくされた。なお、ヴィツェルは一発退場処分を受け、試合後には8試合の出場停止処分が言い渡されている[4]。脛骨と腓骨の手術を受けて長いリハビリの末、2010年5月8日のシント=トロイデンVVとの2009-10シーズン最終戦で82分からヤン・ポラークと交代出場で戦線復帰し[5]、12月5日のSVズルテ・ワレヘム戦 (2-1) で初先発入りして先制点を挙げた。復帰後の活躍は2013年夏までの契約延長という形で報いられ、クラブは彼を「残酷な仕打ちから解放されたクラブの英雄である」と評した[6]

2012年10月24日にUEFAチャンピオンズリーグ 2011-12グループリーグFCゼニト・サンクトペテルブルク戦で因縁のヴィツェルと再会することが決定すると、ヴァシレフスキは試合前にヴィツェルとの握手を拒否することを発表し、アンデルレヒトのジョン・ファン・デン・ブロム監督を始めとした首脳陣は処罰を下さないことでこの決断を受け入れた[7]。しかし、最終的に自身の問題で試合全体の雰囲気を壊したくないとの思いから握手をした[8]。なお、試合はゼニトが1-0で勝利している。

上記のように負傷に苦しんだ一方、2012年3月18日のシント=トロイデン戦でコーナーキックの際にペーター・ドゥロルジュ(オランダ語版)の顔面に肘打ちする騒動を起こす。ドゥロルジュは意識不明で病院送りとなり、ヴァシレフスキは4試合の出場停止を含めて6試合の欠場となった[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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