マルチナ・ヒンギス
Martina Hingis
マルチナ・ヒンギス
基本情報
愛称天才少女[1]
国籍 スイス
出身地 チェコスロバキア コシツェ
居住地 スイス トリュバッハ
女子 テニス
オリンピック
銀2016 リオデジャネイロ女子ダブルス
■テンプレート ■プロジェクト テニス
マルチナ・ヒンギス(Martina Hingis, 1980年9月30日 - )は、スイスの女子プロテニス選手。チェコスロバキア(現スロバキア)のコシツェに生まれる。選手としての活動期間は1994年のプロデビューから2017年の3度目の引退時までの長期に及び、この間にWTAツアーでシングルス43勝、ダブルス64勝を挙げた。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
ヒンギスは早熟選手であったことから、女子テニス界における数々の最年少記録を保持している。16歳の時に達成した世界ランキング1位(16歳6か月)、4大大会年間3冠獲得は歴代最年少記録、4大大会初制覇(1997年全豪オープンに16歳3か月で優勝)はオープン化以降の最年少記録である。彼女は1998年に女子ダブルスの年間グランドスラムを達成したこともあり、シングルス・ダブルスともに世界ランキング1位になった数少ない選手のひとりである。また30代半ばには混合ダブルスでもキャリア・グランドスラムを達成している。4大大会でシングルス5勝、ダブルス13勝、混合ダブルス7勝の計25勝を挙げた。
2013年国際テニス殿堂入り。 1980年9月30日、チェコスロバキアのコシツェでマルティナ・ヒンギソヴァー(Martina Hingisova)として生まれる。誕生時に、当時チェコスロバキアの代表選手だった母親メラニーが、同じチェコスロバキア出身の名選手マルチナ・ナブラチロワにあやかって娘を「マルチナ」と命名した。(この当時ナブラチロワは24歳で、1978年と1979年のウィンブルドン選手権に2連覇していた)。母親の影響で2歳の頃からテニスを習い、早熟な才能を開花させた。スロバキア人であった実の父親とは、マルチナが7歳の時に別れている。8歳の頃にスイスへ移住した。 1993年、12歳の若さで全仏オープンジュニア女子シングルス優勝。1994年には全仏オープンとウィンブルドンのジュニア女子シングルスで優勝した。 1994年10月14日、14歳の誕生日の2週間後にプロデビュー。直ちに1995年の全豪オープンで4大大会に初出場を果たし、同年の女子テニス協会「最優秀新人賞」を受賞する。 1996年10月にドイツ・フィルダーシュタットの「ポルシェ・テニス・グランプリ」でWTAツアー初優勝。女子ツアー年間最終戦(当時の名称は「チェイス選手権」)に大会初出場で準優勝、年末の最終ランキングを4位に上げた。
プロフィール
選手経歴
天才少女の活躍