マルセル・マルソー
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マルセル・マルソー
Marcel Marceau
ジミー・カーター米大統領と対談を行った際に、Bipに扮したマルセル・マルソー(1977年6月16日撮影)
生年月日 (1923-03-22) 1923年3月22日
没年月日 (2007-09-22) 2007年9月22日(84歳没)
出生地 フランス共和国ストラスブール
死没地 フランスカオール
職業俳優パントマイム
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マルセル・マルソー(Marcel Marceau、出生名 - Marcel Mangel、1923年3月22日 - 2007年9月22日)は、フランスパントマイム・アーティストである。この芸術形式における第一人者で、近代パントマイムでもっとも有名な人物のひとりである。「パントマイムの神様」「沈黙の詩人」と呼ばれた。
生い立ち

1923年、フランスのストラスブールユダヤ人の父・シャルルと母アンヌの間にMarcel Mangel(マルセル・マンジェル)として生まれる[1]。16歳のときフランスが第二次世界大戦に突入、その影響により家族でリモージュに移住を強いられる。その後兄弟のアランとともにマルセルはシャルル・ド・ゴール自由フランスに参加、堪能な英語力でジョージ・パットンの軍隊の渉外係として働く[2]。戦況が悪化する中、ドイツ軍のフランス侵攻に伴い、ユダヤ人であることを隠すために姓をMangelからMarceauに変えたが彼の父はゲシュタポによって捕らえられ、1944年アウシュビッツ強制収容所で亡くなるという悲劇に見舞われる。

Marceauという姓はヴィクトル・ユーゴーの『懲罰詩集』(Les Chatiments)から引用したものであると語っている[3]
初期の活動

チャーリー・チャップリンを見たことがきっかけで俳優を志したマルセルは終戦後、1946年サラ・ベルナール劇場の中のシャルル・デュランの演劇学校に入門。ここでマルセルはデュランとエチエンヌ・ドゥクルー(英語版)に師事して演劇や身体を使ったパフォーマンスを学ぶ。ちなみに映画『天井桟敷の人々』のバチスト役で世界的に有名になるジャン=ルイ・バローもまたドゥクルーの生徒だった。バローが立ち上げた劇団に参加する[4]がほどなくバローが映画を中心とした活動になり、マルセルはパントマイムを追求するために離れる(この頃までに後にマイケル・ジャクソンムーンウォークとして有名になる動きを2人で考案していたとされる[5])。マルセルはこの劇団のパントマイム『Baptiste』で演じた道化役(これはバロー自身が『天井桟敷…』で演じた役であった)で好感触を得たことを弾みに最初の無言劇(fr:mimodrame, en:mimodrama)『プラクシテレスと黄金の魚』をサラ・ベルナール劇場で公演し、高い評価を得る。

1947年には、彼の代名詞ともいえるキャラクター「Bip」を創造。白く塗られた顔、よれよれのシルクハット、帽子に力なく飾られた花、ストライプのシャツなどはパントマイムの一般的なイメージとして認知されるほど、大衆にアピールし影響を与えた。言葉を発せず体ひとつで表現されるそのパフォーマンスは高い評価を受け、とりわけ有名な『若さ、成熟、老年そして死』(en:Youth, Maturity, Old Age and Death)と呼ばれているスケッチは評論家をして「彼は小説家が何冊書いても表現しきれない世界を2分で表現してしまう」と言わせたという。

1949年、2番目の無言劇『夜明け前の死』で、18世紀の著名な無言劇俳優・ドビュロー(Jean-Gaspard Deburau)を記念して創設された賞「ドビュロー賞」を受賞。その後、当時世界唯一といわれたパントマイム専門の劇団「Compagnie de Mime Marcel Marceau」を設立し、ゴーゴリの『外套』の翻案や『フルート吹き』(Le Joueur de flute)、『文体練習』(Exercices de style)、『闘牛士』(Le Matador)、『小さなサーカス』(Le petit cirque)、『笑うパリ、涙のパリ』(Paris qui rit, Paris qui pleure)など多くの無言劇のシナリオを制作・公演した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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