マルコ・ルビオ
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この項目では、アメリカ合衆国の政治家について説明しています。メキシコのプロボクサーについては「マルコ・アントニオ・ルビオ」をご覧ください。

アメリカ合衆国政治家マルコ・アントニオ・ルビオMarco Antonio Rubio

生年月日 (1971-05-28) 1971年5月28日(52歳)
出生地 アメリカ合衆国
フロリダ州マイアミ
出身校フロリダ大学B.A.
マイアミ大学J.D.
前職フロリダ州下院議員
所属政党共和党
称号法務博士
配偶者ジャネット・ドゥスデベス(1998年 - )
アメリカ合衆国
上院議員
選挙区フロリダ州
当選回数2回
在任期間2011年1月3日 - 現職
フロリダ州
州議会議長
在任期間2006年11月21日 - 2008年11月18日
州知事ジェブ・ブッシュ
チャーリー・クリスト
フロリダ州
州議会議員
選挙区第111区
当選回数5回
在任期間2000年1月25日 - 2008年11月18日
州知事ジェブ・ブッシュ
チャーリー・クリスト
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マルコ・アントニオ・ルビオ(Marco Antonio Rubio、1971年5月28日 - )は、アメリカ合衆国政治家フロリダ州弁護士共和党所属の上院議員マイアミ大学法務博士(Juris Doctor)。キューバ系アメリカ人カトリック教徒。
生い立ち

1971年5月28日にアメリカ合衆国フロリダ州マイアミで、父マリオ・ルビオ・レイナと母オリア・(旧姓ガルシア)ルビオの三男として誕生する。彼の兄と姉妹は兄にキューバ生まれのマリオ・ヴィクター、姉にバーバラ(1987年に逮捕された元麻薬密輸グループの一員でもあったオーランド・シシリアと1980年に結婚している)、妹にヴェロニカ(プエルトリコ出身の歌手・俳優のカルロス・ポンセと結婚)である。両親はフィデル・カストロキューバ革命起こす以前の1956年5月18日に貧しい生活から抜け出し、豊かな生活を求めてキューバのハバナにあるアメリカ領事館に駆け込み、キューバから経済移民としてアメリカに移民したキューバ人であり、家庭やキューバ人社会ではスペイン語が母語のため、幼少時よりスペイン語に堪能だった。両親のキューバでの子供時代は貧しく、父親は学校を途中で辞めて仕事をしていた為、読み書きを学んでいなかった。その為アメリカに来た時、小学校教育を持つ、勤勉な人々は彼らの子供の施設、車と大学を持っている余裕があると思い、この国なら機会があると希望を持っていたと言う。両親は当初、英語が中々話せず苦労しながら子供を育て、1975年アメリカ市民権を取得している[1]。母オリアは1961年に一時キューバに帰国しており、この時キューバは革命によりフィデル・カストロ政権による共産主義化に進んでいて、病んでいる母の父ペドロ・ヴィクター・ガルシアを説得してアメリカに連れて行く為である。母方の祖父ペドロ・ヴィクター・ガルシアは1956年にアメリカに移民するが、1959年にキューバに帰国し、1962年ビザなしでアメリカに入国したため、入国管理局によって拘留されている[2][3]。移民裁判官はペドロに強制送還を命じたが、最終的には彼がビザなしでアメリカに残れるように配慮した[2]

両親と幼い兄と祖父ペドロ・ヴィクター・ガルシアはアメリカに来た当初は、低所得層向けの公営団地に引っ越して住み、夫婦共働きで工場で働いていたが、後に父マリオは小学校の学童擁護員やラスベガスのカジノでバーテンダー、母オリアは小さなマーケットでのレジ打ちやウェイトレスやホテルのメイドなどで働き、両親の仕事の関係で一時ネバダ州ラスベガスに移る。ルビオ家はカトリック教徒だが、ラスベガス在住時の8歳の時、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の教会にも出席し洗礼も受けた[4]が、1984年に家族全員、再びカトリックに戻っている[5][6]


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