マルコ・スクータロ
Marco Scutaro2012年、サンフランシスコ・ジャイアンツ世界一パレードでのスクータロ
基本情報
国籍 ベネズエラ
出身地ヤラクイ州サンフェリペ
マルコス・スクータロ(Marcos "Marco" Scutaro, 1975年10月30日 - )は、ベネズエラのヤラクイ州サンフェリペ出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 1975年、ベネズエラのヤラクイ州でイタリア人の父親とスペイン人の母親の間に生まれる[1]。 1994年にクリーブランド・インディアンスと契約を結んだ。 2002年4月5日にニューヨーク・メッツへとトレードされる7月21日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビュー。 2003年10月9日にウェイバー公示を経てオークランド・アスレチックスへ移籍した。マーク・エリスが右肩の故障で全休したこともあり、正二塁手としてプレー。遊撃手と三塁手も守りながら、自己最多の137試合に出場し、打率.273・7本塁打・43打点をマーク。また守備面でも、二塁手として123試合に出場し、3失策と堅い守備を見せた(遊撃手では16試合で2失策、三塁手では1試合で無失策。ただし、三塁手は1イニングしか守備に就いていない)。 2005年は、エリスが完全復帰することもあり、開幕時点では内野の控えとしての位置づけであった。しかし、前年に新人王を獲得したボビー・クロスビーが故障で長期欠場したこともあり、主に遊撃手として一塁手以外の内野とメッツ時代以来となる左翼手を守りながら118試合に出場。自己ベストとなる9本塁打・5盗塁をマーク。2006年8月24日 2006年開幕前の3月に第1回WBCのベネズエラ代表に選出された[3]。父がイタリア人であるため、イタリア代表を選ぶことも出来たが、スクータロは生まれ故郷のベネズエラの代表としてプレーすることを選択。大会中は内野のユーティリティープレイヤーとして活躍した。 シーズンでは好機に勝負強さを発揮し、「クラッチヒッター」と評価された。ミネソタ・ツインズとのディビジョンシリーズ第3戦では、試合を決定付ける3点二塁打を放ち、チームのリーグチャンピオンシップシリーズに貢献した。 2007年は、前年より出場試合数が減ったものの、内野のユーティリティープレイヤーとして安定した成績を残す。 2007年11月8日に、トロント・ブルージェイズにマイナー2投手とのトレードで移籍した[4]。 2008年は、新天地で遊撃のレギュラーの座を掴み取り、自己最高の145試合に出場。安打数、打点、得点で自己最高成績をマークした。2009年5月27日 2009年開幕前の3月に第2回WBCのベネズエラ代表に選出され[5]、2大会連続2度目の選出を果たした。大会中は主に「9番・遊撃手」として活躍した。 シーズンでは、不動の「1番・遊撃手」としてチームを牽引、自身初の100得点などキャリアハイの成績を残した。11月6日にFAとなった。 2009年12月3日、2年1000万ドル(3年目は600万ドルの球団オプションか300万ドルの選手オプション)でボストン・レッドソックスに移籍。 2010年は開幕直後は「9番・遊撃」としての出場が多かったが、ジャコビー・エルズベリーが長期離脱したことにより後半戦は1番打者として起用されることが増えた。打撃成績は前年の水準には達しなかったが、自己最多の150試合に出場した。2011年4月28日 2011年の前半戦はジェド・ラウリーにポジションを譲ることが多かったが、後半戦にはレギュラーに復帰。9月には大失速したチームの中で1人気を吐き、月間打率.387をマーク。規定打席には到達しなかったが、打率.299は自己ベストだった。10月30日に600万ドルの球団オプションが行使され、2012年もレッドソックスに残留することが決まった[6]。
経歴
プロ入り前
プロ入りとインディアンス傘下時代
ブルワーズ傘下時代、ポール・リグドン
メッツ時代
アスレチックス時代
ブルージェイズ時代
レッドソックス時代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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