マルク・ロセ
Marc Rosset
基本情報
国籍 スイス
出身地 ジュネーブ
居住地 モナコ・モンテカルロ
生年月日 (1970-11-07) 1970年11月7日(48歳)
身長200cm
体重88kg
利き手右
バックハンド両手打ち
ツアー経歴
デビュー年1988年
引退年2005年
ツアー通算23勝
シングルス15勝
ダブルス8勝
生涯通算成績575勝495敗
シングルス433勝351敗
ダブルス142勝144敗
生涯獲得賞金$6,812,693
4大大会最高成績・シングルス
全豪ベスト8(1999)
全仏ベスト4(1996)
全英4回戦(2000)
全米4回戦(1995)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪2回戦(1991・92・94)
全仏優勝(1992)
全英3回戦(1993・2001)
全米2回戦(1990・92・93・2000)
優勝回数1(仏1)
国別対抗戦最高成績
デビス杯準優勝(1992)
ホップマン杯準優勝(1996)
キャリア自己最高ランキング
シングルス9位(1995年9月11日)
ダブルス8位(1992年11月2日)
獲得メダル
男子 テニス
オリンピック
金1992 バルセロナシングルス
■テンプレート ■プロジェクト テニス
マルク・ロセ(Marc Rosset、1970年11月7日 - )は、スイス・ジュネーヴ出身の元男子プロテニス選手。1992年バルセロナ五輪男子シングルスの金メダルを獲得した選手である。4大大会でも、1992年全仏オープン男子ダブルスでヤコブ・ラセクとペアを組んで優勝した。身長200cm、体重88kg。自己最高ランキングはシングルス9位、ダブルス8位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。バルセロナ五輪の金メダルを含めて、ATPツアーでシングルス15勝、ダブルス8勝を挙げた。 1988年にプロ入り。1989年8月に地元のジュネーヴ・オープンでプロ初優勝を果たし、1990年から男子テニス国別対抗戦デビスカップスイス代表選手になる。1992年全仏オープン男子ダブルスで同じスイスのヤコブ・ラセクとペアを組んで優勝し、スイスの選手として初のグランドスラム優勝を果たした。同年のバルセロナ五輪では、3回戦で第1シードのジム・クーリエを、準決勝で同年のウィンブルドン選手権準優勝者ゴラン・イワニセビッチを破って決勝に進出する。決勝ではスペインのホルディ・アレッセと7-6, 6-4, 3-6, 4-6, 8-6の激戦を制し、金メダルを獲得した。この年、ロセとラセクはデビスカップスイス代表を初の決勝に導いたが、アメリカに1勝3敗で敗れた。[1] ロセの4大大会男子シングルス自己最高成績は1996年全仏オープンベスト4だが、この時は準決勝でミヒャエル・シュティヒに3-6, 4-6, 2-6で敗れた。それから2年後の1998年全米オープンで1回戦敗退に終わった後、ニューヨークから故国スイスへの帰国便の飛行機を予定より1便遅らせた。彼が乗る予定だった飛行機が、1998年9月2日のスイス航空111便墜落事故で乗員229名全員が死亡する惨事に遭った。そのため、ロセは命拾いをする形になったのである。 ロセは2003年までデビスカップスイス代表として出場を続けたが、最後の年にはロジャー・フェデラーとペアを組み、ワールドグループ準々決勝のフランス戦と準決勝のオーストラリア戦に出場した。こうして彼のデビスカップ通算対戦成績は、スイス代表歴代2位の「37勝21敗(シングルス24勝13敗/ダブルス13勝8敗)」となった。2002年9月から2005年3月まで、ロセはスイス代表監督を務めたが、一時は出場選手とチーム監督を兼任したこともある。 マルク・ロセは2005年10月に35歳で現役引退を表明した。 大会グレード サーフェス別タイトル 結果No.決勝日大会サーフェス対戦相手スコア
目次
1 来歴
2 ATPツアー決勝進出結果
2.1 シングルス: 23回 (15勝8敗)
2.2 ダブルス: 11回 (8勝3敗)
3 4大大会シングルス成績
4 脚注
5 外部リンク
来歴
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 23回 (15勝8敗)
グランドスラム (0-0)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
オリンピック (1-0)
ATPマスターズシリーズ (0-1)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (2-3)
ATPインターナショナルシリーズ (12?4)
ハード (4?3)
クレー (3-2)
芝 (1-0)
カーペット (7-3)
優勝1.1989年9月17日 ジュネーヴクレー ギリェルモ・ペレス・ロルダン
準優勝1.1990年4月6日 マドリード
準優勝2.1990年5月27日 ボローニャ