マルクス・リキニウス・クラッスス
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この項目では、共和政ローマ期の政務官について説明しています。その他の「クラッスス」については「クラッスス」をご覧ください。


マルクス・リキニウス・クラッスス
M. Licinius P. f. M. n. Crassus Dives[1]
クラッススの頭像(ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館
渾名ディウェス(金持ち)
出生紀元前115年
死没紀元前53年
死没地カルラエ(現:ハッラーン
出身階級ノビレス
氏族リキニウス氏族
官職レガトゥス?(紀元前83年-82年)
プラエトル(紀元前73年)
プロコンスル(対スパルタクス)(紀元前72年-71年)
コンスル I(紀元前70年)
ケンソル(紀元前65年)
神祇官(紀元前60年-53年)
土地分配10人委員(紀元前59年)
コンスル II(紀元前55年)
プロコンスル(シリア)(紀元前54年-53年)
担当属州シュリア(紀元前53年)
指揮した戦争第三次奴隷戦争
カルラエの戦い
配偶者テルトゥッラ
後継者プブリウス・リキニウス・クラッスス
マルクス・リキニウス・クラッスス (紀元前54年の財務官)
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マルクス・リキニウス・クラッスス(ラテン語: Marcus Licinius Crassus, 紀元前115年頃 - 紀元前53年)は、共和政ローマ時代の政務官第三次奴隷戦争スパルタクスを討ち取り、グナエウス・ポンペイウス及びガイウス・ユリウス・カエサルと共に第一回三頭政治を行った。後に資産家となったクラッススは、ディウェス(金持ち)というアグノーメン(添え名)をつけられることがあるが、当時そう呼ばれていたかは学者によって意見が分かれる[注釈 1][2]
生涯
前半生

紀元前115年かその翌年生まれ。父はプブリウス・リキニウス・クラッスス (紀元前97年の執政官)、母はウェヌレイアで、三人兄弟の末っ子だった[3]プルタルコスによれば、兄2人は結婚した後も実家で一緒に住んでおり、クラッススが贅沢に溺れなかったのはこのときの経験が元だろうとしている。兄の一人が亡くなると、その未亡人をクラッススが引き受け結婚したという[4]紀元前87年ガイウス・マリウスルキウス・コルネリウス・キンナがローマを占拠した際、もう一人の兄と父は亡くなったが、クラッススが結婚したのは長男プブリウスの妻テルトゥッラであろうと考えられている[3]

ローマを制圧してからわずかの間でマリウスは死亡、その後はルキウス・コルネリウス・キンナがローマを支配した。クラッススは父や兄弟の死に連座することはなかったが、ローマからヒスパニアへ逃れた。
スッラ配下時期スッラを象った硬貨

ポントスミトリダテス6世との間で一応の和約が成立したスッラは、紀元前84年にローマへと進軍を始めた。クラッススはスッラの支持者でアフリカ属州を根拠地としたクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウスのもとに身を寄せたが、やがて仲違いしてスッラの許へと向かった。スッラはクラッススに一軍を与えて、マリウス派の残党討伐に向かわせた。その際にクラッススは護衛兵をつけて欲しいと頼んだが、スッラに「お前の父や兄弟が討たれた敵を我々は攻めているのだ」と返され、クラッススは発奮したと伝わっている[5]

紀元前82年、ポプラレスの残党と敗残のサムニウム人がスッラを打倒するべくローマへ進撃した時、スッラは軍の右翼の指揮をクラッススに任せた。このポルタ・コッリナの戦い(ドイツ語版)で、クラッススが率いた右翼はサムニウム軍を撃破し、スッラの勝利に貢献した。

スッラ配下の武将として地盤を作ったクラッススの次の関心はマリウス派によって収奪された家族の財産を再建することであった。スッラによるプロスクリプティオにより、ポプラレスや政敵の財産が全て没収されて競売に付した際に、クラッススはこれらの財産を買い叩いた。

また、クラッススは銀山や高価な土地を多数保有するようになったが、中でも優秀な奴隷を多く抱えてそれらの経営を任せたことで、一層の蓄財が可能となった。更に、火事になった家の周辺の隣家が延焼を恐れて持ち家や建物・土地を手放すのをいち早く情報を仕入れた上でそれらを買い占め、その後に自らが雇っていた建築に携わる奴隷にそれらを壊させたためにローマの大部分がクラッススの所有物になったとされる。

紀元前78年にスッラは死去したが、上述のように多くの富を得たクラッススはローマ政界での有力者の1人に数えられるまでとなった。財産を形成したクラッススの次の関心は政治キャリアを重ねることであった。スッラに近い派閥にいたこと、ローマで最も裕福であったこと、コンスルやプラエトル出身者を多く持つ一族の出身であったことからも有利な立場であった。ただし、同じスッラの配下で多くの軍功を挙げて、スッラから「マグヌス(偉大なの意)」とも称されたグナエウス・ポンペイウスに比べると、クラッススの軍功が見劣りする点は否めなかった。
スパルタクスとの対決詳細は「第三次奴隷戦争」を参照第三次奴隷戦争(紀元前71年)、クラッスス軍(橙)、スパルタクス軍(青)、ポンペイウス軍(黒)

紀元前70年代はローマ各地で反乱や戦争が勃発した時期であった。


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