マルクス・フルウィウス・ノビリオル_(紀元前189年の執政官)
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マルクス・フルウィウス・ノビリオル(Marcus Fulvius Nobilior)は共和政ローマプレブス(平民)出身の政治家・軍人。紀元前189年執政官(コンスル)を務め、アエトリア戦争(en、紀元前191年 ? 紀元前189年)を戦った。
目次

1 生涯

1.1 出自

1.2 初期の経歴

1.3 執政官としてバルカン半島に出征

1.4 監察官

1.5 子孫


2 脚注

3 参考資料

3.1 古代の資料

3.2 研究書


4 関連項目

生涯
出自

ノビリオルはプレブスのフルウィウス氏族の出身である。フルウィウス氏族は紀元前4世紀の中頃にトゥスクルム(en)からローマに移住し、紀元前322年にはルキウス・フルウィウス・コルウスが氏族最初の執政官となっている[1]。カピトリヌスのファスティによると、ノビリオルの父のプラエノーメン(第一名、個人名)はマルクス、祖父はセルウィウスである[2]。父に関しては名前以外何も分かっていないが、祖父のセルウィウスは紀元前255年の執政官であるセルウィウス・フルウィウス・パエティヌス・ノビリオルと思われる。

紀元前176年の補助執政官ガイウス・ウァレリウス・ラエウィヌスは半弟である[3][4]
初期の経歴

ティトゥス・リウィウス紀元前199年護民官の名前をマルクス・フルウィウスとしている[5]コグノーメン(第三名、家族名)は記していないが、おそらくはノビリオルであると思われる[6]紀元前196年にはアエディリス・クルリスに就任、同僚はガイウス・フラミニウスであった[7]紀元前193年には法務官(プラエトル)に就任するが、同僚法務官はやはりフラミニウスであった[8]。両者は属州総督としてヒスパニアに派遣され、フルウィウスはヒスパニア・キテリオル(近ヒスパニア)、ノビリオルはヒスパニア・ウルテリオル(遠ヒスパニア)を担当した。ノビリオルのインペリウム(軍事指揮権)は二度延長され、トレトゥム(現在のトレド)でケルティベリア・ウァカエイ(en)・ウェテノス(en)連合軍に大勝した[9][10]


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