マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ
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マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ

マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ(ラテン語: Marcus Vipsanius Agrippa, 紀元前63年 - 紀元前12年)は、古代ローマの軍人、政治家でローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの腹心。のちにアウグストゥスの娘婿となる。

ガイウス・ユリウス・カエサルに見出され、軍略の弱いアウグストゥスの補佐的役割を果たした。また、パンテオンポン・デュ・ガールなど多数の建築物を建造した。
生涯

アグリッパの生まれ故郷は分かってはいない。ただ父の名はルキウス・ウィプサニウス・アグリッパ、父と同名の兄と妹ウィプサニア・ポッラがいたことだけは分かっている。騎士階級出身であったので、彼の家族は裕福なものの、元老院議員を祖先に持つほど政治的な影響力のある家系ではなかった。

早いうちから軍務に就き、ローマ内戦ではカエサル派に属して元老院派と戦った。この時、兄ルキウスは元老院派に属してマルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシスの下で戦っていたが、タプススの戦いで元老院派が敗北すると兄は捕虜として牢獄に入れられた。しかし友人オクタウィアヌスの配慮で釈放されたという。ただし、この戦いでアグリッパが兄と陣を相対して戦ったかどうかは定かではない。ムンダの戦いなどに参加していることは確かである。いずれにせよ、彼の働きはカエサルの目に留まり、紀元前45年にオクタウィアヌスと引き合わされる。ここでアグリッパとオクタウィアヌスは同年代でもあったので、同様な教育を受け親しい友人となる。そしてカエサルがローマで次々と政策を挙げて行く中で、アグリッパとオクタウィアヌスはともにギリシアのアポッロニアに遊学することになった。そして彼らがギリシアに旅立って4ヶ月が過ぎた紀元前44年3月15日、カエサルが暗殺(英語版)された。

この時アグリッパは、もう一人の友人クィントゥス・サルウィディエヌス・ルフスと同様、マケドニア属州の軍団を率いてローマへと進軍するように促したが、オクタウィアヌスは小部隊のみ率いてローマへと赴く。そしてオクタウィアヌスがカエサルの後継者となったことを知らされる。こうしてアグリッパは、友人オクタウィアヌスの腹心として政治の表舞台に立つことになった。そして軍才のないオクタウィアヌスの代理、実質的な最高司令官として内乱を戦い、紀元前36年9月3日ナウロクス沖の海戦ではオクタウィアヌスの海軍を指揮しセクストゥス・ポンペイウス軍に勝利する。紀元前31年アクティウムの海戦ではマルクス・アントニウス派およびプトレマイオス朝連合軍を破り、勝利へ導いた。

帝政樹立が進められる中、アグリッパはアウグストゥスの同僚執政官を連続して務めた。共和制正規の官職の中で元老院議員たちに気付かれないように権力を集中していくには、絶対の信頼を置くアグリッパの協力が不可欠であった。またイベリア半島のカンタブリア戦争では指揮を執り、勝利へ導いた。

最初はティトゥス・ポンポニウス・アッティクスの娘であるポンポニアと結婚し、娘ウィプサニアを得ていた。このウィプサニアはティベリウスと結婚し小ドルススを出産している。その後小オクタウィアガイウス・クラウディウス・マルケッルスの娘である大マルケッラと2度目の結婚をする。前25年、アウグストゥスの娘大ユリアは、大マルケッラの兄マルケッルスと結婚した。前23年マルケッルスが死去すると、アウグストゥスはアグリッパを大マルケッラと離婚させ、紀元前21年寡婦となっていた娘大ユリアと結婚させる。この結婚でアウグストゥスの孫にあたる、ガイウス・カエサルルキウス・カエサル小ユリア大アグリッピナアグリッパ・ポストゥムスが生まれた。

病弱なアウグストゥスとしては、自分の後継者として病気知らずのアグリッパを中継ぎにし、その後アグリッパの子である自分の孫たちに帝位を継承させようとしていたと思われる。しかし皮肉にも病弱だったアウグストゥスが長命し、一方アグリッパや孫たちは次々に逝去し、アウグストゥスは血のつながりのないティベリウスを養子にせざるを得なくなった。
系図

          カエサルの祖父 マルキア         
  
                              
               
  
大マリウス ユリア
(英語版) カエサルの父 アウレリア
(英語版) セクストゥス・カエサル    
    
                          


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