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マリー=ジョゼフ・ド・サクス
Marie-Josephe de Saxe
フランス王太子妃
在位1747年2月9日 - 1765年12月20日
出生 (1731-11-04) 1731年11月4日
神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領、ドレスデン
死去 (1767-03-13) 1767年3月13日(35歳没)
フランス王国、ヴェルサイユ
埋葬 フランス王国、サンス大聖堂
配偶者フランス王太子ルイ・フェルディナン
子女一覧参照
家名ヴェッティン家アルブレヒト系
父親ザクセン選帝侯アウグスト3世
母親マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
宗教キリスト教カトリック
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マリー=ジョゼフ・カロリーヌ・エレオノール・フランソワーズ・グザヴィエール・ド・サクス(仏: Marie-Josephe Caroline Eleonore Francoise Xaviere de Saxe, 1731年11月4日 - 1767年3月13日)は、フランスの王太子(ドーファン)ルイ・フェルディナンの2番目の妃で、ルイ16世ら兄弟の母である。
ポーランド王およびザクセン選帝侯アウグスト3世(フリードリヒ・アウグスト2世)の娘で、ドイツ語名はマリア・ヨーゼファ・カロリーナ・エレオノール・フランツィスカ・クサヴェリア・フォン・ポーレン・ウント・ザクセン(Maria Josepha Karolina Eleonore Franziska Xaveria von Polen und Sachsen)となる。 1746年、フランス王ルイ15世の長男で王太子のルイ・フェルディナンは、スペイン・ブルボン家出身の先妻マリー=テレーズ=ラファエル・ド・ブルボンと結婚後1年余りで死別した。1女マリー・テレーズ(1746年 ? 1748年)が遺されたが、次の世継ぎとなる男子がなかったため、王太子は急いで再婚する必要があった。しかしルイ・フェルディナンは亡き妻を悼み、再婚に消極的であった。 スペイン王フェルナンド6世は、ラファエル妃の代わりに別の妹のマリーア・アントニア王女をルイ15世に勧めたが、これは断られた。ルイ15世の政治に強い影響力を持っていた王の寵姫ポンパドゥール夫人が、オーストリア継承戦争でザクセンとの同盟を強くしたいと考えて、ザクセン選帝侯家の娘であるマリア・ヨーゼファとの再婚をまとめようとしたからである。 マリア・ヨーゼファの祖父アウグスト2世と父アウグスト3世は共に、ルイ・フェルディナンの母方の祖父スタニスワフ1世レシチニスキとポーランド王位を争ったという因縁のある間柄であった。一方で、マリア・ヨーゼファの姉マリア・アマリアはナポリ=シチリア王カルロ(スペイン王子でもあり、後にスペイン王カルロス3世となる)の妃であった。
略歴