マリー・ド・ブルゴーニュ_(1386-1422)
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マリー・ド・ブルゴーニュ
Marie de Bourgogne
サヴォイア公

在位1416年 - 1422年

出生1386年9月
ブルゴーニュ公国ディジョン
死去 (1422-10-02) 1422年10月2日(36歳没)
サヴォイア公国トノン=レ=バン
埋葬 サヴォイア公国オートコンブ修道院
結婚1401年10月27日 アラス
配偶者サヴォイア公アメデーオ8世
子女一覧参照
家名ヴァロワ=ブルゴーニュ家
父親ブルゴーニュフィリップ2世
母親フランドル女伯マルグリット3世
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マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgogne, 1386年9月 - 1422年10月2日)は、ブルゴーニュフィリップ・ル・アルディとその妻のフランドル女伯マルグリット3世の間の四女。サヴォイアアメデーオ8世に嫁した。
生涯

ブルゴーニュ公爵夫妻の第8子、四女として生まれた。長兄ジャン・サン・プールはブルゴーニュ公、次兄アントワーヌブラバント公、弟フィリップはヌヴェール伯およびルテル伯である。長姉マルグリット下バイエルン=シュトラウビング公エノー伯ホラント伯・ゼーラント伯ヴィルヘルム2世の妻、次姉カトリーヌはオーストリア公レオポルト4世の妻である。

1401年10月27日アラスにおいて父方の従姉ボンヌ・ド・ベリーサヴォイア伯アメデーオ7世の間の長男であるサヴォイア伯アメデーオ8世と結婚した。1416年、夫が神聖ローマ皇帝ジギスムントによって帝国伯から公爵に昇格を許され、1418年にはピエモンテ公の称号も与えられた。そのためマリーも公爵夫人を名乗ることになった。1422年に死去し、オートコンブ修道院に葬られた。
子女

夫との間に少なくとも9人の子女をもうけている。

マルゲリータ(1405年)

アントーニオ(1407年)

アントーニオ(1408年)

マリーア(1411年 - 1469年) - 1427年、ミラノ公
フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティと結婚

アメデーオ(1412年 - 1431年) - ピエモンテ公

ルドヴィーコ(1413年 - 1465年) - サヴォイア公

ボナ(1415年 - 1430年)

フィリッポ(1417年 - 1444年) - ジュネーヴ伯

マルゲリータ(1420年 - 1479年) - 1432年にアンジュー公ルイ3世と結婚、1444年にプファルツ選帝侯ルートヴィヒ4世と再婚、1453年にヴュルテンベルク伯ウルリヒ5世と三婚


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