マリー・ド・フランス_(詩人)
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マリー・ド・フランス
誕生本名不明
12世紀
死没不明
職業詩人
活動期間中世
ジャンルレー、寓話、聖人伝
代表作マリー・ド・フランスのレー
影響を受けたもの

アイソーポス

影響を与えたもの

クレティアン・ド・トロワ
ファブリオー

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マリー・ド・フランス(Marie de France)は、12世紀後半にイングランドで活動したフランス生まれの詩人である。彼女の人生はよくわかっていない。写本に伝えられるマリーの作品には、アングロ=ノルマン語の特徴が見られるが、これはノルマン・コンクエスト後のイングランドの宮廷で話されていた古フランス語の一方言である。マリーはまたいくつかのラテン文学の翻訳もした。
目次

1 概要

2 著作の日本語訳

3 参考文献

4 脚注

5 関連項目

6 外部リンク

概要

マリーの本名は謎である。「マリー・ド・フランス」と呼ばれるようになったのは、作品中の「Marie ai nun, si sui de France(私の名はマリーで、フランスの出身です)」という1行に由来する。その正体について、いくつかの名前が挙がっている。アンジュー伯ジョフロワ4世の庶子でヘンリー2世の異母姉妹にあたり後にシャフツベリー (Shaftesbury) 尼僧院長となったマリー(メアリー)、レディング尼僧院長のマリー、スティーヴン王の娘のブローニュ女伯マリー、バーキング尼僧院長のマリー[1]、そしてヒュー・タルボットの妻マリー・ド・ムーランである[2][3][4]

3つの作品がマリー・ド・フランスのものとわかっている。

マリー・ド・フランスのレー (The Lais of Marie de France) - ロマンスの短いヴァージョンと似ていなくもない。

イゾペ (Ysopet) - ラテン語で伝えられたイソップ寓話をフランス語に訳したものだが、オリジナルの寓話を含む。

聖パトリックの煉獄の伝説 (Legend of the Purgatory of St. Patrick) - ラテン語で書かれた“Tractacus de Purgatorio Sancti Patricii”の翻訳。

また近年、次の作品がマリー・ド・フランスによるものではないかという説が出された。

聖オードリーの生涯 (The Life of Saint Audrey) - エリィ (Ely) の聖オードリー (Athelthryth) を題材とした作品。

研究家たちはマリーの作品の製作年は、最も早いもので1160年頃、最も遅いもので1215年頃の間だとしていて、4つの作品が書かれたのは1170年頃から1205年までの間だろうとされている。作品の一つの『レー』は「高貴なる王」と「ウィリアム伯」に捧げられている。「王」とはヘンリー2世か、その長男の若ヘンリー王のどちらかだろうと考えられている。問題は「ウィリアム伯」であるが、ウィリアム・ド・マンデヴィル (en) もしくはウィリアム・マーシャルではないかと考えられる。

マリー・ド・フランスはヘンリー2世とその王妃アリエノール・ダキテーヌの宮廷のメンバーだったと推測されている。1816年、イギリスの詩人マティルダ・ベサム=エドワーズ (Matilda Betham-Edwards) は、8音節の語の二行連で書いた“The Lay of Marie”(マリーのレー)の中で、マリー・ド・フランスに関する長い詩を書いた。
著作の日本語訳

『十二の恋の物語 マリー・ド・フランスのレー』
月村辰雄岩波文庫 1988年

「すいかずら」新倉俊一訳『フランス中世文学集 1 (信仰と愛と)』白水社 1990年

「ギジュマール」、「ランヴァル」新倉俊一訳『フランス中世文学集 2 (愛と剣と)』白水社 1991年

参考文献

高頭麻子「おとぎの国の恋?マリ・ド・フランス」、『フランス中世文学を学ぶ人のために』(世界思想社、2007年)所収

渡邉浩司「〈ブルターニュの短詩〉に見られる〈口承性〉をめぐる考察」、『ケルト 口承文化の水脈』(中央大学出版部、2006年)所収

脚注^ Rossi, Carla (2007). Marie, ki en sun tens pas ne s'oblie; Maria di Francia: la Storia oltre l'enigma. Rome: Bagatto Libri.
^ Holmes, Urban T. (1932), "New thoughts on Marie de France", Studies in Philology 29: 1-10
^ Grillo, Peter R. (1988), "Was Marie de France the Daughter of Waleran II, Count of Meulan?", Medium Aevum 57: 269-273
^ Pontfarcy, Yolande de (1995), "Si Marie de France etait Marie de Meulan", Cahiers de Civilisation Medievale (Xe-XIIe Siecles) 38: 353-61

関連項目

アングロ=ノルマン語文学
(英語版)

外部リンク

ウィキソースにマリー・ド・フランス(フランス語)の原文があります。


International Marie de France Society

Works by Marie de France プロジェクト・グーテンベルク

French Mediaeval Romances from the Lays of Marie de France


Complete bibliography of her works, including secondary literature (Archives de litterature du Moyen Age, Arlima)

"Marie de France" カトリック百科事典 (1913). New York: Robert Appleton Company.

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SUDOC: 084978449

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更新日時:2019年4月5日(金)06:37
取得日時:2019/08/15 13:07


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