マリーア・インマコラータ
Maria Immacolata
ボルボーネ=シチリア家
出生 (1874-10-30) 1874年10月30日
フランス共和国、カンヌ
死去 (1947-11-28) 1947年11月28日(73歳没)
スイス、ムーリ
埋葬 連合国軍占領下のドイツ、ドレスデン、カトリック宮廷教会
配偶者ヨハン・ゲオルク・フォン・ザクセン
父親アルフォンソ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
母親マリーア・アントニエッタ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
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マリーア・インマコラータ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(イタリア語: Maria Immacolata di Borbone-Due Sicilie, 1874年10月30日 - 1947年11月28日)は、両シチリア王国の旧統治者家門ブルボン=シチリア家の子孫。両シチリア王フェルディナンド2世の孫娘にあたる。
ドイツ語名はマリア・インマクラータ・フォン・ブルボン=ジツィーリエン(Maria Immaculata von Bourbon-Sizilien)。 最後の両シチリア王フランチェスコ2世の異母弟カゼルタ伯アルフォンソと、その妻でトラーパニ伯の娘であるマリーア・アントニエッタの間の第4子、長女として生まれた[1][2]。全名はマリーア・インマコラータ・クリスティーナ・ピア・イザベッラ(Maria Immacolata Cristina Pia Isabella)。 1906年10月30日にカンヌにおいて、ザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世の弟ヨハン・ゲオルクと結婚した。ヨハン・ゲオルクは最初の妻のヴュルテンベルク公女マリア・イザベラと死別しており、マリーア・インマコラータとの結婚は再婚だった。夫妻の間に子供は無かった。 ウィキメディア・コモンズには、マリーア・インマコラータ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ (1874-1947)
生涯
カンヌでのヨハン・ゲオルクとの結婚式(1906年)
マリーア・インマコラータと夫ヨハン・ゲオルク(1912年)
脚注[脚注の使い方]^ Darryl Lundy (2003年5月10日). “ ⇒Maria Immaculee di Borbone, Principessa di Borbone delle Due Sicilie”. ⇒thePeerage.com. 2008年10月9日閲覧。
^ Paul Theroff. “TWO SICILIES
外部リンク