マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ
マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ (2005年)
基本情報
生誕 (1895-04-03) 1895年4月3日
出身地 イタリアフィレンツェ
死没 (1968-03-16) 1968年3月16日(72歳没)
ジャンルクラシック音楽
職業作曲家
マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ[注釈 1](Mario Castelnuovo-Tedesco, 1895年4月3日 - 1968年3月16日)は、イタリアのユダヤ系作曲家。 フィレンツェにおいて、イタリア系ユダヤ人(セファルディ系)の銀行家の家庭に生まれる。母親にピアノの手ほどきを受け、9歳にして最初のピアノ曲を作曲。1914年にフィレンツェ音楽院のピアノ科を修了すると、作曲科に転じてイルデブランド・ピツェッティに師事し、1918年に卒業資格を得る。間もなく、フランス帰りの作曲家でピアニストのアルフレード・カゼッラにより注目され、作品を演奏会でとり上げられるようになる。カゼッラは、カステルヌオーヴォ=テデスコの作品が国民音楽協会(イタリア現代音楽協会
経歴
1926年、ニッコロ・マキャヴェッリ原作の自作のオペラ《マンドラゴラ(英語版、イタリア語版) Op. 20》を初演。これは偉大な文芸作品に着想を得た最初の作品であり、このほかに、アイスキュロスやウェルギリウス、ウィリアム・シェイクスピア、ウィリアム・ワーズワース、ウォルト・ホイットマン、ジョン・キーツの作品を原作として作曲を行なった。民族的な素材による作品として、旧約聖書やユダヤ教の典礼に基づく《ヴァイオリン協奏曲 第2番「預言者たち」》がある。これはヤッシャ・ハイフェッツの依嘱作品で、反ユダヤ主義がヨーロッパ中にはびこる中で、ユダヤ系の血統への自負や、作曲者自身の言を借りると「昔日の輝き」を表現したものである。
1932年度国際現代音楽協会(ISCM)ヴェネツィア大会で、スペインのギタリスト、アンドレス・セゴビアと初めて出逢う。この出会いに触発されて《ギター協奏曲 第1番》を作曲、100曲余りあるギター曲の第1作となった。これによってカステルヌオーヴォ=テデスコは、20世紀におけるギター音楽作曲の大家との名声を得る。ほかに主要なギター作品として、《世紀を越える変奏曲》、ギター・ソナタ《ボッケリーニを称えて》、ギターと朗読者のためのメロドラマ《プラテーロとわたし》(日本語版は岸田今日子や江守徹によって上演されている)など。
その翌年にイタリアのファシスト政権が文化綱領を明らかにするが、それは芸術をプロパガンダの道具と見て、人種主義を広めようとするものだった。ムッソリーニが1938年に公的に人種政策を採用する前から、すでにカステルヌオーヴォ=テデスコは放送局や演奏会場から締め出しを食らっていた。しかしながら、彼にイタリア脱出を決意させたのは人種法(英語版、イタリア語版)だったのである。スカラ座の前音楽監督のアルトゥーロ・トスカニーニに手紙を書いて窮地を訴えると、トスカニーニは渡米するなら支援するとの約束を返してきた。1939年、第二次世界大戦開始の直前にカステルヌオーヴォ=テデスコはイタリアを離れた。