マリウポリ
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座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯47度7分 東経37度33分 / 北緯47.117度 東経37.550度 / 47.117; 37.550

マリウポリ
Мар?уполь



印章


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北緯47度7分 東経37度33分 / 北緯47.117度 東経37.550度 / 47.117; 37.550
 ウクライナ
ドネツィク州
設立1778年
政府
 ? 市長ヴァデイム・ボイチェンコ(英語版)
面積
 ? 都市244 km2
人口(2021年)
 ? 都市431,859人
ウェブサイト ⇒marsovet.org.ua

マリウポリ(マリウーポリ;ウクライナ語: Мар?уполь [m?r???i?upol?] ( 音声ファイル) マリウーポリ、ロシア語: Мариуполь マリウーパリ)は、ウクライナドネツク州にある、アゾフ海に面した港湾都市である[1]2022年ロシアのウクライナ侵攻により、2022年5月以降、ロシアの支配下にある。2カ月超の激戦で、国連によると集合住宅の9割が損壊し、人口の8割強にあたる35万人が市外へ退避を余儀なくされた[2]
概要

カルミウス川河口があり、ウクライナの穀物積出港として栄えた。近くにクリビイリフ鉄山ドネツ炭田があることから、工業都市としても発展した。2つの大きな鉄鋼製造企業(イリイチ製鉄所アゾフスタリ製鉄所)がある。また、冶金学の大学もある。

ソビエト連邦時代の1948年から1989年までは、アンドレイ・ジダーノフに因んでジダーノフ (Zhdanov) と呼ばれていた。住民はウクライナ人ロシア人の他には、ギリシャ系のポントス人が2万人を超える。2014年からのウクライナ東部紛争では親ロシア派占領地域と対峙する最前線であり、避難民も多く流入していた[1]
気候

ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候(Cfa)と亜寒帯湿潤気候(Dfa)の境界付近になる。

マリウポリ (1991?2020, 極値1955年? )の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)10.0
(50)15.0
(59)19.6
(67.3)30.0
(86)33.9
(93)37.0
(98.6)37.8
(100)38.0
(100.4)34.4
(93.9)27.1
(80.8)18.0
(64.4)14.1
(57.4)38.0
(100.4)
平均最高気温 °C (°F)0.0
(32)0.7
(33.3)6.1
(43)13.6
(56.5)20.5
(68.9)25.5
(77.9)28.3
(82.9)27.9
(82.2)21.6
(70.9)14.1
(57.4)6.3
(43.3)1.5
(34.7)13.8
(56.8)
日平均気温 °C (°F)?2.4
(27.7)?2.0
(28.4)2.8
(37)9.8
(49.6)16.5
(61.7)21.2
(70.2)23.8
(74.8)23.3
(73.9)17.3
(63.1)10.6
(51.1)3.7
(38.7)?0.9
(30.4)10.3
(50.5)
平均最低気温 °C (°F)?4.6
(23.7)?4.5
(23.9)0.1
(32.2)6.3
(43.3)12.4
(54.3)16.7
(62.1)18.9
(66)18.3
(64.9)13.1
(55.6)7.2
(45)1.2
(34.2)?3
(27)6.8
(44.2)
最低気温記録 °C (°F)?27.2
(?17)?25
(?13)?20
(?4)?7.3
(18.9)0.0
(32)5.6
(42.1)8.9
(48)5.0
(41)?1.1
(30)?8
(18)?17
(1)?24.5
(?12.1)?27.2
(?17)
降水量 mm (inch)47.9
(1.886)42.4
(1.669)39.3
(1.547)38.7
(1.524)38.4
(1.512)56.4
(2.22)46.3
(1.823)37.0
(1.457)44.3
(1.744)33.7
(1.327)49.3
(1.941)52.2
(2.055)525.9
(20.705)
平均降水日数 (?1.0 mm)8.37.17.76.45.97.14.83.65.35.27.38.377.0
湿度87.885.683.076.471.670.966.764.970.078.287.188.377.5
出典1:Pogoda.ru.net (temperatures and record high and low)[3]
出典2:World Meteorological Organization (precipitation and humidity 1981?2010)[4]

住民「en:Mariupol#Demographics」を参照

市内では民族に関係なく、伝統的にロシア語が話されているが、民族的にはウクライナ人とロシア人でほぼ均衡してきて、市内にはまたギリシャ系少数民族のマリウポリ・ギリシャ人(Mariupol Greek)もいる。

2002年には、ウクライナ人が最大の割合(48.7%)を占めていたが、人口の半分未満で、次に大きな民族はロシア人(44.4%)であった。また、2017年6月から7月の調査によると、ウクライナ人はマリウポリの人口の59%に増えて、ロシア人の割合は33%に低下した[5]

この都市には、ウクライナで最大のポントス・ギリシャ人も21,900人いて、近隣の6つの農村地域にも31,400人がいて、この地域にはウクライナのポントス・ギリシャ人の約70%が集中している。
経済

マリウポリはウクライナでも有数の工業都市として知られていて、イリイチ製鉄所(同国で歴史が最も古いクリヴォリジュスタリ製鉄所に次いで第2位)、アゾフスタリ製鉄所(同国第3位)、アゾフマシュ(Azovmach、機械類製造)、アゾフ造船所(Azov Shipyard)、マリウポリ港(Mariupol sea trading port)、アゾフ海船舶(Azov sea shipping)などの会社が置かれている。
歴史
名前の由来ロシア帝国時代のマリア・フョードロヴナ (パーヴェル1世皇后) 聖母マリアイコン(1500年頃)

この地域の16世紀の初期には、カルミウスと呼ばれるコサックがあった。砦はまた、街の隣を流れる川(カルミウス川)にその名前をつけた。1948年から1989年の間、この都市はジダーノフと呼ばれていた。ロシア・トルコ戦争(1768年?1774年)後、ロシア帝国アゾフ県知事ヴァシリーA.チェルトコフは、1778年に新しい町を計画した[6]。1779年9月29日、カルミウス郡にマリアノポル市(ギリシア語: Μαριαν?πολη)が設立された。ロシア当局にとっては、この都市はロシア皇后マリア・フョードロヴナにちなんで名付けられた。事実上、クリミア半島の都市バフチサライ郊外のギリシャ人入植地マリヤンポレ(この名前は聖母マリアとそのイコンに由来している)にちなんで名付けられた[7][8]。その後、1780年にロシア当局はクリミア半島から多数のギリシャ人正教徒強制移住させた[9]
クリミア危機・ウクライナ東部紛争後のマリウポリ

2014年ウクライナ騒乱から続く混乱の中で、ドネツィク州の州都ドネツィク分離・独立派に占拠されたため、マリウポリは同州の臨時的な州都となったが[10]、その後、クラマトルスクへ移転している[11]


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