マリア崇敬
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

マリア崇拝」とは異なります。
ウルリッヒスベルグ教会のマリア像

マリア崇敬(マリアすうけい、devotion to Mary[1])とは、イエス・キリストの母マリア仲介者[注 1]として神[注 2]への執り成しを願うことを中核とする宗教概念。また、その表現や行事などを指す[1]。古代からの伝統によって東方正教会およびカトリック教会において共有されている概念である[2]。聖母崇敬(せいぼすうけい)ともいう。
用語
崇敬
カトリック教会における崇敬[注 3]は、本来の信仰対象である神[注 2]に対する崇拝[注 4]と区別して、人間であるマリアや聖人たちに使用する用語・概念である[3]
特別崇敬
特別崇敬[注 5]は、マリア崇敬を指す用語で、語義は「ほかのあらゆる崇敬にまさる崇敬」である[4]。この用語はトマス・アクィナスを始めとするスコラ哲学者が使い始めた[4][5][6][7]
執り成し(英語版)
他者のために神に頼むこと[8]あるいは願いを取り次ぐこと。その祈り[8]。取り次ぎとも訳される。
仲介者
キリスト教で仲介者[注 6]あるいは仲保者というと多くはイエス・キリストを指す[9]。『新約聖書』に収録されているパウロの名による司牧書簡の一つ「テモテへの手紙一」には「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。」[10]とある。しかしカトリック教会においては、このイエス・キリストを指す「仲介者」と区別して、マリアを「すべての恩恵の仲介者[注 7]と呼び、マリアによる恩恵の仲介を支持している[11]。これは教父時代からの伝統およびカトリック教会の歴史並びに信者の信仰・信心形態の現実を反映したものである[11]。カトリック教会は第2バチカン公会議で決議・公布した『教会憲章』においても「この種の仲介を支持している」[12]。しかしマリアを「すべての恩恵の仲介者」と呼ぶことは、正典である「テモテへの手紙一」における「仲介者…イエスただおひとりなのです。」との齟齬によって誤解を招きがちであるとして、歴代教皇は「すべての恩恵の仲介者」を教理として宣言していない[13]
マリア信心
マリア信心[注 8][注 9]または聖母信心とは、一般的にはマリアを信じる心およびその表現などをいう[14]。日本語で信心というとふつう仏教概念として説明されるが[15]、キリスト教における信心は神[注 2]への帰依およびその表現を指す[16]。しかしカトリック教会では直接神に対するよりもさまざまな形態で信心が表現される傾向があり[17]、その用語「マリア信心」は、信者のために共に神に祈ることをマリアに願う崇敬心とその表現を指す[1]。これは例えば「神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、 今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン。」[18]のように表現される。「聖母マリアへの信心業」も参照
マリア崇拝
日本語として似た語形の「マリア崇拝」は、カトリック教会には無い概念で、カトリック教会のマリア崇敬とは異なる[19]。カトリック教会の用語・概念「マリア信心」や「マリア崇敬」は、マリアを神や女神として拝むことではない。しかしカトリック教会以外の教派では「マリア信心」や「マリア崇敬」に対して様々な見解がある。例えば『キリスト教大事典』の無署名項目「マリア崇敬」では原語・訳語表記としてMariolatryをあげている[7]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:112 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef