マリアーノ・ラホイ・ブレイ
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はラホイ、第二姓(母方の)はブレイです。

スペイン政治家マリアーノ・ラホイ・ブレイMariano Rajoy Brey

生年月日 (1955-03-27) 1955年3月27日(69歳)
出生地 スペインア・コルーニャ県サンティアゴ・デ・コンポステーラ
出身校サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学
前職Trotona de Pontevedra
所属政党国民党(PP)
配偶者エルビラ・フェルナンデス・バルボーア[1]
サイン
第6代 スペイン首相
在任期間2011年12月21日 - 2018年6月2日
国王フアン・カルロス1世
フェリペ6世
国民党党首
在任期間2004年10月16日 - 2018年7月21日
第一副首相
在任期間2000年4月27日 - 2003年9月4日
首相府相
在任期間2002年7月10日 - 2003年9月4日
内務相
在任期間2001年2月27日 - 2002年7月10日
その他の職歴
首相府相
(2000年4月27日 - 2001年2月27日)
教育科学相
(1999年1月18日 - 2000年4月27日)
公共行政相
(1996年5月6日 - 1999年1月18日)
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マリアーノ・ラホイ・ブレイ(Mariano Rajoy Brey、1955年3月27日 - )は、スペインア・コルーニャ県サンティアゴ・デ・コンポステーラ出身の政治家。2011年から2018年まで第6代スペイン首相を務めた。

ホセ・マリア・アスナール政権の公共行政大臣(スペイン語版)、教育文化大臣(スペイン語版)、内務大臣(スペイン語版)、第一副首相(スペイン語版)、国民党党首(PP)などを歴任した。
経歴
生い立ち

サンティアゴ・デ・コンポステーラに判事の息子として生まれ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学で法律を学んだ。スペインでは高度な法律専門職である登記官の資格試験に最年少の23歳で合格、不動産登記官としてのキャリアをスタートした。
ガリシア州時代(1981 - 1991)

1981年、当時の国民同盟(現国民党の前身)に入党。同年10月20日に行われた第一回ガリシア自治州議会選挙に出馬し、史上最年少で当選する。1983年5月8日実施の自治体選挙でポンテベドラの自治体評議員に当選、ポンテベドラ県県議会議長に選出される[2]。1986年の総選挙ではポンテベドラ県のスペイン国会下院議員候補者リストの筆頭になり、当選するが、11月に辞任し、ガリシア自治州政府の副首相に就任(1986-87年)。1991年7月まで国民同盟のポンテベドラ県代表に就き、そして約2年間にわたって同党のガリシア州総書記を務める。

1989年1月に国民同盟から国民党に変り、それ以降同党全国委員会のメンバーとなる。同年10月の総選挙でポンテベドラ県選出下院議員に当選した
アスナール政権の閣僚(1996 - 2004)

1993年6月の総選挙で再選。続く1996年3月の総選挙においても再選された。同選挙では国民党はフェリーペ・ゴンサーレス率いる社会労働党に勝利、ホセ・マリア・アスナール政権が誕生した。

同年5月5日公共行政大臣に就任、1999年1月には批判の矢面にさらされていたエスペランサ・アギーレに替わって教育文化大臣に就任し、職業教育新プランを可決させた。そして同月に実施された国民党第8回党大会において、同党副総書記に再任された。

2000年の総選挙では選挙の指揮を執り、過半数を獲得、ラホイは第一副首相と首相府相(日本の内閣官房長官に相当)を兼務することとなった。

2001年2月には首相府相を辞任、バスク州首相候補となったハイメ・マジョール・オレハの後任として内務相に就任した。

2002年7月内務相から首相府相に就任。

2004年3月の総選挙前にアスナール首相が勇退を表明していたため、ラホイはアスナールの後任として国民党党首に就任し、首相候補として選挙戦を戦った。好調な経済などから事前の世論調査では勝利が確実視されていたが、投票日直前の3月11日に首都マドリードで起きたテロに対するアスナール政権の対応のまずさで、前回より35議席減の148議席獲得にとどまり、164議席を獲得した社会労働党に敗北。サパテーロ政権の誕生となった。
野党党首 (2004 - 2011)

ラホイ率いる国民党は2008年総選挙でも政権奪還に失敗したが、議席・得票率・得票数いずれも前回を上回り、党首を続投した。

3度目の挑戦となった2011年の総選挙では経済危機で政府与党に対する批判が強まる中、過半数を大きく上回る186議席を獲得し、社会労働党に76議席の差をつける歴史的な圧勝を果たした。
スペイン首相 (2011 - 2018)

12月20日、下院にてナバーラ住民連合(UPN)とアストゥリアス市民フォーラム(FAC)の支持も得て[3]、第6代首相に指名された[4][5]2013年2月2日、国民党本部前で起こった市民デモ。汚職疑惑に抗議している。

2013年1月31日、スペイン紙エルパイスがラホイを含む与党国民党の汚職疑惑を報じた。企業献金から、不正な支払いがラホイ首相など国民党幹部に支払われていたというもので、ラホイには11年にわたって年間2万5200ユーロ(3万4200ドル)が支払われていたとされる[6]。ラホイは不正を否定しているが、野党は政治家の信頼回復のために首相に辞任を要求している[7]

この汚職疑惑が原因の一つとなって、2013年2月4日にはスペインの国債が下落、ユーロが主要16通貨の過半数に対して値下がりした[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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