マリア・フォン・ベーメン
Maria von Bohmen
出生1124年ごろ
死去1172年以降
埋葬 神聖ローマ帝国
バーデン辺境伯領、バックナング修道院
配偶者オーストリア辺境伯レオポルト4世
バーデン辺境伯ヘルマン3世
マリア・フォン・ベーメン(ドイツ語:Maria von Bohmen, 1124年ごろ - 1172年以降)は、オーストリア辺境伯およびバイエルン公レオポルト4世の妃。また後にバーデン辺境伯ヘルマン3世の妃。 マリアはボヘミア公ソビェスラフ1世
生涯
マリアの結婚の1年後の1139年に、ホーエンシュタウフェン家のローマ王コンラート3世はヴェルフ家のバイエルン公ハインリヒ傲岸公を廃位し、レオポルト4世にバイエルン公位を与えた。レオポルト4世はコンラート3世の異父弟であった(母は共にアグネス・フォン・ヴァイプリンゲン)。従って、コンラート3世がオーストリアとボヘミアの関係強化に関与した可能性がある。レオポルト4世はバイエルン公領の支配を引き受けたが、ハインリヒ傲岸公の弟ヴェルフ6世の主張に対峙しなければならなかった。
レオポルト4世との結婚は3年続いたが、1141年にレオポルト4世はニーダーアルタイヒ修道院(英語版)で突然死去した。この結婚で子女は生まれず、オーストリアとバイエルンはレオポルト4世の兄ハインリヒ2世が継承した。
レオポルト4世の死から1年後、マリアはバーデン辺境伯ヘルマン3世と再婚した。マリアはヘルマン3世にとって2番目の妃であった。ヘルマン3世は第2回十字軍に参加し、1151年にコンラート3世よりヴェローナ辺境伯位を与えられた。ヘルマン3世は,コンラート3世の後継者フリードリヒ1世・バルバロッサのイタリア遠征においても、ホーエンシュタウフェン家を忠実に支援した。
マリアはヘルマン3世との間に1女をもうけた。
ゲルトルート(1225年以前没) - 1180年にダグスブルク伯アルブレヒト2世と結婚
ヘルマン3世は1160年1月16日に死去した。マリアは1172年までは生存が確認できるが、没年は不明である。マリアはバックナング修道院に埋葬された。
脚注^ Lyon 2013, p. 242.
参考文献
Lyon, Jonathan R. (2013). Princely Brothers and Sisters: The Sibling Bond in German Politics, 1100-1250. Cornell University Press
Vani?ek V., Sob?slav I. (2007). P?emyslovci v kontekstu evropskych d?jin v letech 1092-1140. Praha-Litomy?l. pp. 288-290