マリア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ
Мария Николаевна Рома?нова
ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家
1914年頃
全名マリア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ
身位ロシア大公女
出生 (1899-06-26) 1899年6月26日
ロシア帝国
サンクトペテルブルク県
マリア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ
致命者
崇敬する教派ロシア正教会
列聖日2000年8月
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マリア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ(ロシア語: Мари?я Никола?евна Рома?нова, ラテン文字転写: Maria Nikolaievna Romanova, 1899年6月26日[ロシア暦 6月14日] - 1918年7月17日)は、最後のロシア皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后の第三皇女。ロシア大公女。1917年の二月革命で成立した臨時政府によって家族とともに監禁された。翌1918年7月17日未明にエカテリンブルクのイパチェフ館においてヤコフ・ユロフスキーが指揮する銃殺隊によって超法規的殺害(裁判手続きを踏まない殺人)が実行され、家族や従者とともに19歳の若さで銃殺された。2000年にロシア正教会によって新致命者として列聖された。
第一次世界大戦中には2人の姉のように赤十字の看護師になるにはまだ若過ぎたため、その代わりに病院の後援者となって負傷した兵士たちを見舞った。生涯を通じてロシア軍の兵士に強い関心を持ち、兵士と結婚して大家族を持つことを夢見ていた。1991年にエカテリンブルク近郊の森林で殺害された皇帝一家の遺骨が発掘されたが、欠落していた大公女の遺骨は彼女のものであるかもしれないことが示唆された。しかしながら、2007年に別の場所で欠落していた大公女の遺骨も発見され、DNA鑑定によって1918年に皇帝一家全員がエカテリンブルクで殺害され、一人も生存していなかったことが証明された。
幼少期1899年。マリアを抱く母親のアレクサンドラ皇后1901年。姉のオリガ(後)、タチアナ(前左)と皇室ヨット『スタンダルト』号にて。