マリア・テレサ・デ・ボルボーン
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マリア・テレサ・デ・ボルボン
Maria Teresa de Borbon


出生 (1882-11-12) 1882年11月12日
スペイン王国マドリード
死去 (1912-09-23) 1912年9月23日(29歳没)
スペイン王国、マドリード
埋葬1912年9月25日
スペイン王国エル・エスコリアル修道院
配偶者バイエルン王子フェルディナント
子女ルイス・アルフォンソ
ホセ・エウヘニオ
マリア・デ・ラス・メルセデス
マリア・デル・ピラール
家名スペイン・ブルボン家
父親スペインアルフォンソ12世
母親マリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ
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マリア・テレサ・デ・ボルボーン・イ・アブスブルゴ=ロレナ(Maria Teresa de Borbon y Habsburgo-Lorena, 1882年11月12日 - 1912年9月23日)は、スペインの王族。スペイン王アルフォンソ12世とその2番目の妃であるオーストリア大公女マリア・クリスティーナの間に生まれた第二子、次女。バイエルン王子フェルディナントの妃となった。全名はマリア・テレサ・イサベル・エウヘニア・パトロシニオ・ディエガ(Maria Teresa Isabel Eugenia Patrocinio Diega)。

マリア・テレサは1906年1月12日、マドリードで従弟のバイエルン王子フェルディナントと結婚し、間に以下の4人の子供をもうけたが、1912年に29歳の若さで亡くなった。

ルイス・アルフォンソ(1906?1983)

ホセ・エウヘニオ(1909?1966) - オディエル伯爵夫人マリア・デ・ラ・アスンシオン・ソランヘ・デ・メッシア・イ・デ・レセップスと結婚し、二男二女をもうける。

マリア・デ・ラス・メルセデス(1911?1953) - ムフラニ系グルジア王位請求者エレクレ・バグラティオニ=ムフラネリ (en) と結婚

マリア・デル・ピラール(Maria del Pilar、1912?1918) - 髄膜炎で死去。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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