マリアによる福音書
[Wikipedia|▼Menu]

マリアによる福音書(まりあによるふくいんしょ)は、グノーシス主義福音書文書の1つである。

初期キリスト教の『新約聖書』の外典としてこの名の書籍の存在が伝わっていたとされるが、不明点が多く、全容は知られていなかった。しかし19世紀に偶然に発見され、内容から外典とされていた『マリアによる福音書』であることが確認された。『ナグ・ハマディ写本』から発見された諸文書とともに、グノーシス主義の原典資料として貴重であるだけでなく、初期キリスト教や当時の地中海世界の宗教状況の研究にも重要な文書である。

この文書において登場人物の名前はマリハムと表記されている[1]。マリハムは、マリア(マリヤ)と訳されている[注釈 1]。一般的には、イエスの母マリアではなくマグダラのマリアと考えられている[注釈 2]。そのため、本文書は『マグダラのマリアによる福音書』とも呼ばれる。
研究史

『マリアによる福音書』は、3世紀頃の初期キリスト教の教父文書などに言及が見られたが、原本は伝存しておらず実体が不明であった。ギリシア語の断片が2つほど見つかっている。

エジプトで発掘され、後にベルリンに運ばれたパピルスの冊子、いわゆる『ベルリン写本(英語版)』の冒頭部分が『マリアによる福音書』の写本であることが1896年に判明した。十分な長さを持ったまとまった文書は、この写本から見つかったものが唯一のものである。ただし、諸般の事情があって公刊が遅れ、『ナグ・ハマディ写本』の発見後1955年になってようやくテキスト全体が公刊された。

『ベルリン写本』は『ナグ・ハマディ文書』とは別個の写本であるが、同様にサヒディック方言のコプト語で書かれており、ギリシア語原書より翻訳されたものと考えられている。前半および中ほど数頁に欠損があり、残っている部分にも欠落が多く、現存している写本は本来の文書のおそらく半分程度と思われる。
内容

前半では、復活した救い主イエス・キリスト)が弟子たちの質問に答えて啓示を述べ与える対話と、それを受けた弟子たちの間の反応が記されている。

マリアは文書後半部分に登場する。写本では「マリハム」と記されているが、この登場人物はキリスト教の『新約聖書』中に登場するマグダラのマリアのことであると考えられている。後半部分の概要は次のようになっている。
救い主から福音の宣教を託された弟子たち(使徒)は怯むが、マリアは使徒たちを励ます。

ペトロがマグダラのマリアに対し、「救い主が他の女性たちにまさってあなたを愛したことを、私たちは知っています。」として、彼女が救い主から授かった秘伝を他の人々にも話すよう求める。

マリアは幻の内に見た救い主の啓示について話す。

アンデレ、ペトロはその内容を信じない。マリアは泣いて抗弁する。

レビがペトロをたしなめ、使徒たちは宣教に出発する。

前半から後半を通して全体を見ると以下のようにまとめることができる。

これまで、救い主は、聞く耳のあるもの(これはマリアらを指しているようだ)に対して、聞いたこともないような話をしていた。

そして、それらのことをいまだによく理解できていなかった弟子が、「世の罪とは何ですか」という、世の罪(イエスを刑死させた罪)と人の原罪とを暗にほのめかすような質問をした。(マリア福音書7)。そうしたところ、それに対してイエスは、「罪というものはない」という答えをした。そして、(罪よりの救済に関連した福音ではなく)人の内部にいる「人の子の王国の福音」を宣べ伝えよという命令を下した。

しかし、イエスの与える平安からは遠かった弟子たちは、「あの方を容赦しなかった世間の人がわれわれを容赦しないはずがない」といって恐怖した。どうしていいかわからなかった弟子たちの中にあって、マリアは、イエスへの信を失わないでいた。そのマリアに対して、ペテロは、「私たちのまだ聞いていない話を聞かせてください」といった[注釈 3]。マリアは、人の中から出てくるものがその人を汚す[2]という言葉と関連したと思われる啓示が、イエスから啓示されたときの話をした。心の中から出てくる欲望や怒りから、人は自由になれるという話である。しかし、話を聞きたがったペテロは、その彼女の話を否定し、彼女の受けた啓示を否定した。それに加えて、「われわれに隠れてイエスが一人の女性とそのような話をしたのだろうか」、という推察を皆に述べた。それは、弟子を対象としたイエスの教えの、自力救済的な悪に関する啓示の多くを否定する結果となった。そして、弟子たちは、それぞれの考える「王国の福音」を宣べ伝えるために解散した。
マリヤ福音書をとりまく見解
キリスト教的グノーシス主義について

罪というものは存在しないという思想や、心魂が怒りや欲望から解放されると心の境地が上昇してゆくとする思想[3]は、他宗教にも共通して見出されるものである。これらの思想は特にキリスト教に依存しているとは思われないとされている。しかし、この書は西方系のキリスト教グノーシス主義であると位置づけられている[4]。また、グノーシス主義はどこにも存在しなかったと主張する研究者もいる[5]。イエスは、大衆に対してはたとえ話を多く用い[6]、弟子たちには、人のいないときにすべてを解き明かしていたとされている。マリアの受けたとされるイエスの啓示は、人のいないときにイエスが弟子に対してすべてを解き明かした教えである可能性がある。イエスの教えの中には、元々、心の中の悪に対しての認識を深めることが要求されていたことがあげられる。人の心の中から出てくる行為や想念については、淫行、盗み、殺人、姦淫貪欲悪意、奸計、好色、よこしまな眼、涜言、高慢、無分別などがあげられている[7][注釈 4]。こうした、心の中から汚れが出てくるという思想について、四福音書では、ペトロがこれを全く理解できなかったことになっている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:29 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef