マラト・サフィン
[Wikipedia|▼Menu]

マラト・サフィン
Marat Safin


マラト・サフィン
基本情報
フルネームMarat Mikhailovich Safin
国籍 ロシア
出身地 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
生年月日 (1980-01-27) 1980年1月27日(44歳)
身長193cm
体重88kg
利き手右
バックハンド両手打ち
殿堂入り2016年
ツアー経歴
デビュー年1997年
引退年2009年
ツアー通算17勝
シングルス15勝
ダブルス2勝
生涯通算成績518勝287敗
シングルス422勝267敗
ダブルス96勝120敗
生涯獲得賞金$14,373,291
4大大会最高成績・シングルス
全豪優勝(2005)
全仏ベスト4(2002)
ウィンブルドン(英)ベスト4(2008)
全米優勝(2000)
優勝回数2(豪1・米1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪1回戦(2000)
全仏1回戦(2001)
ウィンブルドン(英)3回戦(2001)
国別対抗戦最高成績
デビス杯優勝(2002・06)
ホップマン杯準優勝(2009)
キャリア自己最高ランキング
シングルス1位(2000年11月20日)
ダブルス71位(2002年4月22日)
■テンプレート  ■プロジェクト テニス

マラト・ミハイロヴィチ・サフィン(Marat Safin, 英語ラテン翻字: Marat Mikhailovich Safin, ロシア語: Мара?т Миха?йлович Са?фин, 1980年1月27日 - )は、ロシアモスクワ出身の元男子プロテニス選手、政治家ATPツアーでシングルス15勝、ダブルス2勝。右利き、バックハンドは両手打ち。

シングルス自己最高世界ランキングは1位。6歳年下の妹ディナラ・サフィナ2009年4月に女子テニス世界ランキング1位になり、マラトとディナラは史上初の“兄妹世界1位”を実現させた。

グランドスラムでは2000年全米オープン男子シングルス2005年全豪オープン男子シングルスで優勝。デビスカップロシア代表としてデビスカップ2002、デビスカップ2006の優勝に貢献。ロシア男子初のウィンブルドン準決勝進出者。マスターズ・シリーズ優勝5回。
来歴

元プロテニスプレーヤーの母親の指導下、父の経営するスパルタ・テニスクラブ(英語版)で練習していたサフィンは、14歳の時にスペインバレンシアのクラブに移り、さらにトレーニングを積み重ねていった。

経済面で苦しむ中、1997年にプロ入りする。1998年4月から男子テニス国別対抗戦デビスカップロシア代表選手になる。同年の全仏オープンで予選を勝ち上がったサフィンは、本戦の1回戦でアンドレ・アガシ、2回戦で大会前年優勝者のグスタボ・クエルテンを破る大活躍で有名になった。この時は地元フランスのセドリック・ピオリーンとの4回戦まで勝ち進んでいる。この年は全米オープンでも4回戦まで進出し、18歳の早熟な才能を世界にアピールした。

2000年は彼にとって飛躍の年となった。全仏オープンでベスト8に進出し、世界トップ10入りを果たす。同年の全米オープン決勝でピート・サンプラスを6-4, 6-3, 6-3のストレートで破り、20歳の若さで4大大会初優勝を果たした。20歳の若者が、ほぼ完璧な試合内容でサンプラスを打ち破って初優勝したことは大きな評判となり、翌年の5月には第2回ローレウス世界スポーツ賞の最優秀新人賞を授与されている。結局2000年は7大会で優勝し、11月20日付けのランキングで世界1位になるなど(年間最終ランキングは僅差で2位)名実共に世界のトッププレーヤーの仲間入りを果たす。

2001年ウィンブルドン選手権ではベスト8に進み、本大会の優勝者となったゴラン・イワニセビッチに6-7, 5-7, 6-3, 6-7で敗れた。全米オープンでは、準決勝でサンプラスに敗れて大会連覇を逃した。この年、フェデラーとダブルスを組んだ、スイス・オープン・グシュタードでダブルス初優勝を飾っている。

2002年全豪オープンでは4回戦でサンプラスを破り、準決勝でトミー・ハースをフルセットの末に下して、2度目の4大大会決勝に進出するが、トーマス・ヨハンソンに敗れて準優勝に終わる。全仏オープンではベスト4に入り、ファン・カルロス・フェレーロに敗れた。

2004年全豪オープンではノーシードからトッド・マーティンジェームズ・ブレークといった実力者を下し、準々決勝では当時世界ランク1位のアンディ・ロディックを2-6, 6-3, 7-5, 6-7, 6-4で、準決勝ではアンドレ・アガシを7-6, 7-6, 5-7, 1-6, 6-3で破り、2年ぶり2度目の全豪決勝に勝ち進んだ。決勝ではフェデラーの前に敗れるが、前年のブランクからの完全復活を強く印象づけた。またATPマスターズシリーズの1つであるパリ・マスターズラデク・ステパネクを破り、大会最多タイとなる3度目の優勝を飾っている。

2005年全豪オープンでは、準決勝で4時間28分の激戦の後にフェデラーを5-7, 6-4, 5-7, 7-6, 9-7で破ると、決勝で地元オーストラリアレイトン・ヒューイットを1-6, 6-3, 6-4, 6-4で破り全豪初優勝を果たした。

その後は怪我のためツアーを離脱することが多く、また満足いくプレーが出来ずにいたが、2008年ウィンブルドン選手権にて、28歳にして初のベスト4入りを果たす。サフィンは2回戦で、当年度の全豪オープン優勝者ノバク・ジョコビッチを破って波に乗り、それまで好成績の少なかったウィンブルドンで自己最高成績を出したが、準決勝では第1シードのフェデラーにストレートで敗れた。

2009年はほとんどの大会で早々の敗退が続き、母国ロシアのサンクトペテルブルク・オープンで準決勝に進んだのが最高だった。BNPパリバ・マスターズでの対フアン・マルティン・デル・ポトロ戦が現役最後の試合となり、61位でそのキャリアを終えた。

サフィンはデビスカップロシア代表選手としても、2002年・2006年と2度ロシア代表の優勝に貢献した。2002年の決勝でフランスを破った勝利は、ロシアのデビスカップ初優勝であった。

2000年(2位)、2002年(3位)、2004年(4位)と3度、年末トップ10に入り、テニス・マスターズ・カップにも出場した(うち準決勝進出2度)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:76 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef