マラソン
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「42.195km」はこの項目へ転送されています。コブクロの同名の楽曲については「42.195km (コブクロの曲)」をご覧ください。

「マラソン」のその他の用法については「マラソン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
2004年第29回Marine Corps Marathonの選手たち

マラソンとは、
陸上競技長距離走のひとつで、42.195 km公道コースを使った競技。本項で詳述する。

公道コースを使った陸上競技の長距離走の俗称。5kmや10kmのロードレース、ハーフマラソンウルトラマラソンなど。

長距離、長時間にわたる仕事や陸上以外の競技の例えとして使われる。シェル エコマラソンハッカソンアイデアソンなど。

マラソン(英語: marathon)は、陸上競技長距離走のひとつで、42.195 km公道コースを走り、順位や時間を競う種目である。古代ギリシア故事に由来して、第1回近代オリンピックの創設に伴い陸上の新種目とされたことから始まった。

また定められた距離以外の大会でもマラソンと呼ばれる場合がある、数キロ程度の長距離走からハーフマラソン(21.0975 km)やクォーターマラソン(10.54875 km)、スリークォーターマラソン(31.64625km)、マラソンより長い距離を走るウルトラマラソンなどでも、単にマラソンと呼ぶことが多い。正式なマラソンを明示する場合は「フルマラソン」という。

この長距離走を示す意味での「マラソン」という名前は登録商標などの規定が無く誰でも自由に使うことが出来るが、本稿ではワールドアスレティックス(旧国際陸上競技連盟)の規定に準じ記述している。
マラソンの名の由来

紀元前450年9月12日アテナイの名将ミルティアデスマラトンギリシア語: Μαραθ?ν, Marathon)に上陸したペルシャの大軍を奇策で撃退した。マラトンの戦いである。勝利というエウアンゲリオン(良い知らせ)をアテナイの元老に伝えるためにフィリッピデス(Philippides)という兵士が伝令に選ばれた。フィリッピデスはマラトンから約40km離れたアテナイまでを駆け抜け、アテナイの郊外で「我勝てり(ギリシア語: νενικ?καμεν)」と告げた後に力尽きて息を引き取ったと言われている[1]。アテナイは現在のアテネとされる[2]

この伝承は19世紀にイギリスの詩人であるロバート・ブラウニングが書いた詩によって世間に広まったが、歴史書の記載とは相違点がある。ヘロドトスの『歴史』によると、フィリッピデスが走ったのは紀元前490年のペルシャとの戦いにおけるアテネからスパルタまでの約250kmであり、その目的は終わった戦いの勝利を告げるものではなく戦いの前にペルシャ軍を撃退する援軍を集めようとするものであって、走った後に死亡したという記載もない。また、マラトンの戦いにおいて勝利を告げた使者の名は、古代ギリシャの伝記作家であるプルタルコスの著作によればエウクレス(Eukles)とされ、またテルシッポスと伝える史料もある[3]

現在ではこの歴史に基づき、アテネからスパルタまでの246kmを走るウルトラマラソンの大会「スパルタスロン」も行われている。
近代マラソンの開始

上述の故事を偲んだフランスの言語学者ミシェル・ブレアルの提案により、1896年アテネで開かれた第1回オリンピックマラトンからアテネ・パナシナイコ競技場までの競走が加えられた[2]。これがマラソン競走の始まりであり、翌1897年にはボストンマラソンが創始されるなど、欧米諸国から競技が広がった。1972年より、故事にちなんでアテネクラシックマラソンが開催されるようになった。コースはマラトンよりアテネの競技場までの42.195 kmである。1997年世界選手権2004年アテネオリンピックはアテネクラシックマラソンと同じコースが使用された。
42.195 kmの由来

オリンピックのマラソン距離開催年回次距離
1896年140 km
[注釈 1]
1900年240.26 km
1904年340 km
1906年(*1)41.86 km
1908年442.195 km
1912年540.2 km
1920年742.75 km
1924年以降842.195 km
(*1) 1906年は近代オリンピック制定10周年を記念した特別大会

マラソンの距離は42.195 kmと設定されているが、これは古代マラソンに直接由来するものではない。オリンピックでマラソン競技が実施された当初は、大会ごとの競技距離は一定ではなく(同じコースを全選手が走ることが重要とされていたため)、約40 kmで行われていた。競技距離が統一されたのは、第8回パリオリンピック以後であり、42.195 km(26マイル385ヤード)とされた。この距離は第4回ロンドンオリンピック時の走行距離(市街地42 km+競技場の200 mトラック1周弱)をそのまま採用したものである。

第4回ロンドンオリンピックでは、当初、国王の住むウィンザー城からホワイトシティ・スタジアムの26マイル(41.843 km)で競うこととされていた。この際、時の王妃アレクサンドラが、「スタート地点は宮殿の庭で、ゴール地点は競技場のボックス席の前に」と注文したために半端な数字の距離(385ヤード)だけ延長されたという逸話がある。もっとも、この説には証拠が見つかっていないとサウサンプトン大学のマーチン・ポリー教授は主張している[4]。英国政府観光庁も、スタート地点の移動については、「観客が参加選手の走行を邪魔しないように」と述べており、また追加された距離も700ヤードとしている[5]。この大会で最初に競技場に到達したイタリアの選手ドランド・ピエトリはゴール地点を勘違いして直前(彼の認識におけるゴール)で倒れ、役員の助力でゴールしたため、のちに失格となった(ドランドの悲劇)。
女子の参加

第1回のアテネ五輪の当時、陸上競技は男子のみで行われており、マラソンも例外ではなかった(ただし、翌日に同じコースを走ったスタマタ・レヴィチ(あるいは「メルポメネ」)という女性がおり、史上初の女子マラソンランナーとされる)。その後女子の陸上競技への参加が認められるようになっても、「女子がマラソンを走ることは生理的に困難」という見解が広く信じられ、オリンピックをはじめとするマラソン大会も男子のみで開催されていた。これに対して、1966年のボストンマラソンで主催者に隠れて参加する女子が出現、その後も年を追って非公式の女子の参加者が増えたため、1972年に女子の参加が認められた。日本国内で初めてマラソン公認コースを競技として走った女性は、1975年7月26日に網走市のコースに挑んだ札幌短期大学(現・札幌学院大学)の6人の選手(須藤令子が4時間07分40秒でトップ)である[6][注釈 2]

1978年、世界初の女性限定マラソン大会として第1回国際女子マラソンがアメリカ合衆国アトランタで開催され、続いて日本初の女性限定マラソン大会として女子タートルフルマラソン全国大会(多摩湖女子マラソン大会とも)が東京都東大和市で開催された[7][8]

1979年の別府大分毎日マラソンでは試験的に女子にも門戸を開放。同年秋にIAAFが公認する史上初の女性限定マラソン大会として東京国際女子マラソンが開催された。

オリンピックで女子のマラソンが正式に採用されたのは、1984年のロサンゼルスオリンピックからである。

2012年より名古屋ウィメンズマラソンが開催され、「世界最大の女子マラソン大会」としてギネス世界記録に認定されている。


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