この項目では、フィリピンの都市について説明しています。
アフリカの国については「マラウイ共和国」をご覧ください。
エジプトの都市については「マラウィ (エジプト)」をご覧ください。
マラウィ・イスラム市
Inged san Marawi
Lungsod Islamiko ng Marawi
Marawi City
マラウィ市の街並み
位置
マラウィ市の位置
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯8度00分 東経124度18分 / 北緯8.000度 東経124.300度 / 8.000; 124.300
マラウィ市、正式名称マラウィ・イスラム市(The Islamic City of Marawi)は、フィリピン・ミンダナオ島の西部南ラナオ州の州都。農業と農産物の出荷が主な産業で、ムスリムのマラナオ人(英語版)が多く、マラナオ語が通用している。ミンダナオ島最大の湖ラナオ湖の北岸に位置し、アグス川(英語版)がここから流れ出ており、市街地は川の西岸にある。面積は22.60平方km、人口は131,090人で世帯数は20,375(2000年国勢調査)。96のバランガイからなる。
歴史マラウィ市から望むラナオ湖
マラウィという市名は、地元のマラナオ語で「もたれる」を意味する "rawi" から来ており、ラナオ湖からのアグス川の流出口付近で北になびいているユリの花にちなんでいる。
マラウィは以前はダンサラン町 (Dansalan) の一部であった。スペイン人植民者がラナオ周辺を1689年に探検した際、巨大な湖を発見し、そこから北へ流れ出る川の出口にダンサランという大きな町があるという記録を残している。このダンサランはアメリカ統治下の1907年にモロ州の町となった。1940年、フィリピン・コモンウェルス政府はダンサランを市 (chartered city) とすることを議決したが、市の発足は1950年であった。1956年、ダンサラン市はマラウィ市に改名し、さらに1980年、イスラム教徒が9割を占めるマラウィ市は公式名称をマラウィ・イスラム市に変更した。ラナオ・デル・スル州の州都として、マラウィは州の商業、教育、文化、宗教、政治の中心となっている。
2017年、ISILに賛同するイスラム系武装組織アブ・サヤフが台頭。同年5月23日には軍治安部隊と衝突し戦闘が発生している[1]。軍は、武装組織が立てこもる住宅地域に向け、攻撃ヘリコプターによるロケット弾攻撃を実施した[2]。武装組織側の戦闘員は数百人の規模であり、住民を人間の盾として市内を占拠し続けた。6月9日の戦闘ではフィリピン軍海兵隊員13人が死亡、40人以上が負傷している。また、同日、在フィリピン・アメリカ大使館は、フィリピン政府の要請により、アメリカの特殊部隊がフィリピン軍を支援していることを表明した[3]。