マミヤ・オーピーのカメラ製品一覧
[Wikipedia|▼Menu]

マミヤ・オーピーのカメラ製品一覧はマミヤ・オーピーとその前身であるマミヤ光機、後身であるマミヤ・デジタル・イメージングの製品一覧である。
120フィルム使用カメラ
マミヤシックスシリーズ

いわゆる距離計連動式スプリングカメラ。レンズ固定、6×6cm判。他のカメラは一般にレンズを前後に動かして焦点調節を行うが、マミヤシックスシリーズではフィルム面を前後に動かすバックフォーカス方式[注 1]を採用した。圧板が着脱式のため中古を入手する際にはちゃんと圧板が付属しているかがチェックポイントの一つとなる。戦争激化に伴い一時製造中止されたが戦後復活、1959年12月まで製造された。日本がアメリカ占領下にあった時期に生産されたモデルには「Made in occupied Japan」と刻印された個体がある。当時のマミヤ光機はユーザーの要望によく応え、シャッターつきの7.5cmレンズを持ち込めばそれを取り付けて製造したり、特注でカール・ツァイス製のテッサー10.5cmF4.5やテッサー135mmを装着したものもあるが、その改造をすると折り畳み機構が失われる。戦前モデルの発売年には異説がある。機種名表記は当初「MAMIYA-SIX」であったが、マミヤシックスIV型以降「MAMIYA-6」となっている。

マミヤシックスI型(1940年発売) - 一眼式連動距離計と、ウェストレベル撮影用反射ファインダーを併設する。レンズは3群3枚上代光学製KOLトリオ7.5cmF3.5またはKOLスペシャル7.5cmF3.5、シャッターはNKSラピッドB、1?1/200秒。フィルムは一枚目を赤窓で出し、後は自動巻き止め。

マミヤシックスII型(1940年発売) - レンズは3群3枚上代光学製KOLスペシャル7.5cmF3.5。

マミヤシックスIII戦前型(1941年発売) - マミヤシックスII型から閃光同調を省いた機種。レンズはKOLEXアナスチグマット7.5cmF3.5。

マミヤシックスIA型(1943年発売)

マミヤシックスIIA型(1943年発売)

マミヤシックスIII戦後型(1947年発売) - レンズはこの型からDズイコー7.5cmF3.5。

マミヤシックスIV型(1947年10月発売) - この機種から軍艦部機種名表記が「MAMIYA-6」となった。反射ファインダーが廃された。連動距離計がユニット化された。

マミヤシックスV型(1953年11月発売) - 6×6cm判と6×4.5cm判の切替可能となった。6×4.5cm判として使うにはボディー内サイズ変換マスクをセットし、巻取ノブ基部にあるレバーをセミ判に合わせ、ファインダーマスクを視野前面にスライドさせる。

マミヤシックスK型(1954年8月発売) - マミヤシックスV型の廉価版で自動巻き止めだったフィルム送りが赤窓式になっている。レンズは3群3枚のセコールT7.5cmF3.5。

マミヤシックスIVB型(1955年5月発売) - マミヤシックスIV型の改良機ではなく全くの新製品として設計されたため外観がスマートである。

マミヤシックスオートマット(1955年12月発売) - スプリングカメラでオートマット機構を備えた機種は極めて珍しく、本機の搭載が世界初である。レンズはDズイコー75mmF3.5。シャッターはセイコーシャで最高速1/500秒。

マミヤシックスKII型(1956年8月発売) - 6×6cm判と6×4.5cm判の切替可能である。使わない方の赤窓を塞ぎ、ファインダーマスクをして使用する。距離計窓が角形になった。

マミヤシックスIVS型(1957年10月発売)

マミヤシックスP型(1957年12月発売) - 廉価版でPはポピュラーの意。シャッター最高速は1/300。

マミヤシックスオートマット2型(1958年7月発売) -マミヤシックスオートマットのファインダーに撮影範囲を示す枠が付いた製品で、レンズは自社製のセコール7.5cmF3.5(3群4枚)。

マミヤフレックス(Cシリーズを除く)シリーズ

レンズ固定式6×6cm判二眼レフカメラ。レンズ交換式のCシリーズへ発展解消した。

マミヤフレックス試作(試作のみ) - 1943年に北野邦雄が著した「国産ローライの研究」に紹介されている。後のオートマットAの機構のほとんどがすでに装備されている。オートマット機構は元祖のローライフレックスオートマットのようにローラーの間にフィルムを通す必要がない。シャッターはセルフコッキング。ピント合わせは右手操作となっており、これも特徴とされている[1]

マミヤフレックスジュニア(1948年発売) - ビューレンズと撮影レンズのヘリコイドが歯車で噛み合され前玉を回転させるのはリコーフレックスが有名だがこの機種はそれより早い。開発が先行していたマミヤフレックスオートマチックのダイキャストを流用している。1枚目のみ赤窓で出して後は巻き止め式。レンズはネオコン75mmF3.5、シャッターはスタミナでB、1-1/300秒[1]

マミヤフレックスオートマット(1949年発売)/マミヤフレックスオートマットA(1954年改称) - オートマット式であるがローライフレックスオートマットのようにローラーを通す必要がない。マミヤフレックスオートマットBが発売されてからはマミヤフレックスオートマットAと改称された。ピント合わせは前板繰出式[1]

マミヤフレックスI(1951年発売) - ジュニアと同様の歯車噛み合わせ式。セルフコッキング。レンズは前玉回転式セコール75mmF3.5、シャッターはメリットB、1-1/300秒の普及版[1]

マミヤフレックスII(1952年発売) - マミヤフレックスIの後継機。セルフタイマーと透視ファインダーを装備した[1]

マミヤフレックスオートマットB(1954年発売) - セミオートマット式、前玉回転式の普及版。レンズはセコールS75mmF3.5。シャッターはセイコーシャラピッドでB、1-1/500秒[1]。アタッチメントは上下ともローライバヨネットI型。

マミヤフレックスオートマットA2(1955年発売) - 二重露出が可能になった[1]

マミヤフレックスオートマットB2(1956年発売) - ファインダースクリーンにフレネルレンズ採用。

マミヤフレックスオートマットA3(1956年発売) - ファインダースクリーンにフレネルレンズ採用。シャッターはセイコーシャMXでセルフタイマー装備。マミヤCシリーズ登場前のマミヤ二眼レフカメラの完成型と言える[1]

マミヤCシリーズ

数少ないレンズ交換式6×6cm判二眼レフカメラ[注 2]。ファインダー用と撮影用の同一設計の同一レンズがどちらもレンズボードに固着されており、これらレンズボード全体をワンタッチで強力な弾性を有する上下の支持用圧盤定着用レバーを用いて圧着し交換できる。多彩な交換レンズと接写に対応するため、ラック・アンド・ピニオン式の蛇腹による焦点調節機構を採用している。またフィルム通路を通常のL字型からボディーの大型化を忍んでI字型にし、このためフィルムの平面性が良くこの機種がよく写るという好評に結びついている。主に高級版のC3シリーズと普及版のC2シリーズに分けることができる。
Cシリーズボディー

マミヤフレックスCプロフェッショナル(
1956年発売) - 外観上2本の前足が特徴的。セミオートマット。「C1」とも称される。シャッターの最高速は1/400秒であった。

マミヤフレックスC2プロフェッショナル(1958年発売) - 大型三脚使用のため前足が廃され裏蓋が補強されカメラ底部が平面になった。フォーカシングノブが両側に装着された。距離目盛りを設け、透視ファインダーにマスクを用意した。レンズはCプロフェッショナルと共通だがこの頃からのレンズはシャッターの最高速が1/500秒に変更されている。

マミヤC3プロフェッショナル(1962年発売) - クランク巻き上げ、二重露光防止機構追加。前期型にコミナー80mmF3.7が付属したものがある。

マミヤC33プロフェッショナル(1965年発売) - マミヤC3プロフェッショナルの後継機。セルフコッキング、パララックス自動補正となった。ピントフード前面のスポーツファインダー枠が65mmと80mm用の二重になっている。裏蓋交換により120フィルム、220フィルム及びカットフィルムの一枚撮り可能。

マミヤC22プロフェッショナル(1966年発売) - マミヤC33プロフェッショナルからセルフコッキング、パララックス表示を省略し、巻き上げをクランクからノブとした普及版。

マミヤC220プロフェッショナル(1968年発売) - マミヤC22プロフェッショナルの後継機。小型軽量化された。従前の交換レンズ、付属品も1枚撮り装置を除いて全て使用できる。ファインダースクリーンは固定式。本体のみで120フィルムの他220フィルムに対応。

マミヤC330プロフェッショナル(1969年発売) - マミヤC33プロフェッショナルの後継機。オートマット式となった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:108 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef