マプチェ語
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マプチェ語
マプドゥングン
話される国
チリアルゼンチン
創案時期2007年
民族71万8000人のマプチェ族
話者数25万8410人
言語系統アラウコ語族

マプチェ語

公的地位
公用語ガルバリノ (チリ)[1]
パドレ・ラス・カサス (チリ)
統制機関統制なし
言語コード
ISO 639-2arn
ISO 639-3arn
Glottologmapu1245[2]
2002年のマプチェ人口の中核地域(郡別)。

オレンジ:農村部のマプチェ人、暗い色:都市部のマプチェ人、白:マプチェ人以外の住人円の表面は40人/km2.に調整されている。
 

注意: この表にはユニコードで記述されたIPA発音記号が含まれているかもしれません。

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マプドゥングンを話す人

マプチェ語(マプチェご)[3]またはマプドゥングン、マプドゥングン語(マプドゥングンご)[4](mapu「土地」とdungun「話す、話」から)は、チリ中南部とアルゼンチン中西部でマプチェ族(mapu「土地」とche「人々」から)が話している、ウィリチェ語(英語版)に近縁なアラウコ語族の言語である。Mapuzugun、Mapudunguとも表記される。以前はスペイン人がマプチェ族に付けた名前と同じアラウカノ語と呼ばれていたが[4]、マプチェ族はスペインの植民地支配(英語版)の名残としてこれを避けている。

マプドゥングンはチリとアルゼンチンの公用語ではなく、その歴史上、政府の支援をほとんど受けていない[5]。チリ政府はチリ南部のマプチェ族の地域で教育を受けられるようにすることを公約しているが、両国の教育制度では教育言語として使用されていない。マプドゥングンの標準的な表記方法として、どのアルファベットを使用するかについては、現在も政治的な議論が続いている。チリには約14万4000人、アルゼンチン中西部には約8400人の母語話者がいる。

2013年現在、都市部の話者の2.4%、農村部の話者の16%しか子どもと話すときにマプドゥングンを使わず、チリ南部(この言語の本拠地)の10?19歳の話者のうち、マプドゥングン運用「能力が高い」のは3.8%に過ぎない[5]

チリスペイン語話者でマプドゥングンも話す人は、スペイン語を話すときに非人称代名詞(英語版)を多く使う傾向がある[6]
名前

アルファベットによって、/t?/の音は?ch?または?c?、/?/は?g?または?ng?と綴られる。この言語は「土地(mapu)の話(d/zu?un)」または「人々(t?e)の話」と呼ばれている。?n?が2つの言葉をつなぐこともある。このように、言語名の書き方はいくつかある。

アルファベットN付きのMapuNなしのMapuChe/Ce
RagileoMapunzugun
[7]MapuzugunCezugun
UnifiedMapundungunMapudungunChedungun
AzumchefeMapunzugunMapuzugunChezugun
Wirizu?unMapunzu?unMapuzu?unChezu?un

歴史「:en:Mapuche history」も参照
先史時代

Moulianら(2015)は、インカ帝国が擡頭するよりもずっと前に、プキーナ語(英語版)がマプチェ語に影響を与えていたと主張している[8]。プキーナ語の影響が、マプチェ語・アイマラ語・ケチュア語に同根語が存在する理由として考えられている[8]。Moulianらは、以下のインカ期以前の同根語を確認している。太陽(マプチェ語: antu、ケチュア語: inti)、月(マプチェ語: kullen、ケチュア語: killa)、魔法使い(マプチェ語: kalku、ケチュア語: kawchu)、塩(マプチェ語: chadi、ケチュア語: cachi)、母(マプチェ語: nuque、ケチュア語: nunu)[8]。このような地域の言語的影響は、1000年頃のティワナク帝国(英語版)の崩壊に伴って発生した移住者の波とともに到来したとも考えられる[8][9]

それ以降では、インカ帝国に関連したケチュア語族(pataka「百」、warangka「千」)やスペイン語からの語彙の影響もある。

インカ帝国の支配の結果、1530年代から1540年代にスペイン人が到着した時点で、アコンカグア渓谷のマプチェ族はマプドゥングンと帝国ケチュア語(英語版)の二言語を使っていた[10]

マプドゥングンと近縁の言語であるウィリチェ語(英語版)が支配的なチロエ諸島(英語版)では、多くのチョノ語(英語版)の地名が発見されていることから、16世紀半ばにスペイン人が到着する前に、マプドゥングンがチョノ語に取って代わったことが示唆されている[11]。また、歴史学者のホセ・ペレス・ガルシア(英語版)が提唱した説では、先スペイン時代にクンコ族(英語版)がチロエ島に定住したのは、北方のウィリチェ族(英語版)がマプチェ族に追いやられた結果であるとしている[12]
植民地時代のスペイン語とマプチェ語の二言語使用

16?17世紀の中央チリ(英語版)は、居住地を奪われた先住民の坩堝となっていたため[13]、17世紀にはマプチェ語、ケチュア語、スペイン語がかなりの二言語性を持って共存していたと主張されてきた[14]。しかし、チリスペイン語に最も影響を与えた先住民の言語は、マプチェ語ではなくケチュア語である[14]

植民地時代には、多くのスペイン人とメスティーソがマプチェ語を話していた。例えば、17世紀のバルディビア要塞群(英語版)の兵士の多くは、マプチェ語をある程度理解していた[15]

17世紀から18世紀にかけて、チロエ諸島(英語版)の住民のほとんどは二言語話者であり、ジョン・バイロンによると、多くのスペイン人は地元のウィリチェ語(英語版)の方が美しいと考えて好んで使っていたという[16]。同じ頃、ナルシソ・デ・サンタ・マリア(英語版)知事(英語版)は、島に入植したスペイン人がスペイン語をまともに話せず、ヴェリチェ語を話せたこと、そしてこの第二言語の方が使われていることに不満を抱いていた[17]
さらなる衰退

マプドゥングンは、かつてチリ中央部で話されていた唯一の言語だった。マプチェ族の社会言語学的状況は急速に変化した。現在では、マプチェ族のほぼ全員がスペイン語とのバイリンガルまたはモノリンガルである。バイリンガルの度合いは、コミュニティやチリ社会への参加、伝統的な生活様式または現代的・都市的な生活様式に対する個人の選択などによって異なる[18]
方言

方言のサブグループ
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I

II





III

IV



V

VI

VII


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