マブソン青眼
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マブソン 青眼
(まぶそん せいがん)
マブソン青眼(2013年撮影、カブール (フランス)にて)
誕生Laurent MABESOONE
(1968-09-22) 1968年9月22日
フランスタルヌ県
職業俳人小説家比較文学
言語日本語フランス語
国籍 フランス
教育パリ大学早稲田大学
最終学歴博士(学術)
主な受賞歴宗左近俳句大賞 (2004年)、NHK「俳句王国」大賞 (2000年)
影響を受けたもの

小林一茶金子兜太ヴェルレーヌ

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マブソン 青眼(マブソン せいがん[1][2]、アルファベット表記:Seegan Mabesoone[3]、本名:ローラン・マブソン[1][4]: Laurent Mabesoone[4]1968年[5][6]は、フランス出身の俳人[1][2]エッセイスト小説家比較文学[2][7]小林一茶研究家、大学講師[6]日本長野県長野市在住[1][2][4][5][7]。檻の俳句館(長野県上田市古安曽)館主[7]
略歴

1968年[5][6]、フランス南部(南フランス)のタルヌ県生まれ[4]ノルマンディー育ち[2]パリ大学大学院日本文学研究科博士課程修了、早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程修了、博士[8]十文字学園女子大学信州大学非常勤講師[2][5]。専門は小林一茶研究[6]、俳文学、比較文学[4]金子兜太主宰「海程」同人、「青眼句会」主宰、「俳句弾圧不忘の碑」建立事務局代表[2][9]

10歳の時、が読み聞かせてくれたというシャルル・ボードレールの『旅への誘い』をきっかけに、詩人になることを決心[4]。16歳の時、日本への交換留学(AFS (交換留学))で来日[4][6]。日本を選んだ理由について、父親がインドシナ戦争(カンボジア)へ出征したことを幼少の頃から知っていて、自分は父と違って戦争のためではなく、平和のために極東の国に住もうと決めていたと言う[10]。留学先の栃木県立宇都宮高等学校図書室[2]松尾芭蕉俳句作品の英語訳と出会う[2][4][6]。のちにパリ大学で日本文学を学び[6]、20代後半から句作がフランス語から日本語に変わる[4][6]。その後再来日し、1996年から長野市に居を構え[5]長野県庁長野冬季オリンピック(1998年)国際交流員に就任[1]。フランス語通訳・翻訳のほか[2]、文化プログラム「長野オリンピック・俳句でおもてなし」の実施を担当する[4][6]。その傍らで、信州の俳人・小林一茶の研究にあたり[1]、のちに日本人女性と結婚[4]。1998年に、白馬村の渡辺俊夫と共に ⇒長野日仏協会を創立(現在、同協会顧問)。このころ金子兜太と出会う。

平成12年度NHK「俳句王国」大賞受賞(「星飛んで土葬禁止の日本かな」)、2003年度第4回雪梁舎俳句大賞(宗左近俳句大賞)受賞(句集『空青すぎて』)、平成23年度・平成25年度NHK全国俳句大会ジュニアの部選者、第17回俳句甲子園審査委員長。2000年から俳句結社「海程」(金子兜太主宰)同人、金子兜太師没後は後継誌「海原」同人、2004年から「青眼句会」主宰。現代俳句協会会員、日本現代詩歌文学館評議員。

2006年11月、パリで開かれた第2回フランス語圏俳句フェスティバルに招かれ、そこで日本の句会の捌き方を説明した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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