マレーシアの政治家マハティール・ビン・モハマドMahathir bin Mohamad
マハティール・ビン・モハマド(2018年8月3日)
生年月日 (1925-07-10) 1925年7月10日(98歳)[注釈 1]
出生地 イギリス領マラヤ、クダ州アロースター
所属政党(バリサン・ナショナル→)
(統一マレー国民組織→)
祖国闘士党
マハティール・ビン・モハマド(マレー語: Tun Dr Mahathir bin Mohamad[2]、1925年7月10日[注釈 1] - )は、マレーシアの政治家、医師。同国首相(第4代:1981年 - 2003年、第7代:2018年 - 2020年)、暫定首相(2020年2月24日 - 3月1日)などを歴任した。
1953年マラヤ大学シンガポール校(現・シンガポール国立大学)医学部を卒業後に医務官となるが、のちに開業医となる。1964年下院議員に初当選。1969年トゥンク・アブドゥル・ラーマン首相と対立し統一マレー国民組織(UMNO)を追放されるが、1972年UMNOに復帰。1974年教育相、1976年副首相兼貿易相、1981年UMNO総裁、同年7月マレーシア第4代首相に就任。1986年より内相、1987年より法相兼務。
マハティールは、1981年?2003年の前在任期間中、日本を手本に国の開発を進める「ルックイースト政策」を採用し、自国を「東南アジアの優等生」と呼ばれるまでに成長させた。特に1990年代のGDP(国内総生産)成長率は9%台と著しく、1996年には10%の大台にも載せている。この時期の1998年には超高層ビルであるペトロナスツインタワーも完成している。1990年にはEAEG(東アジア経済圏構想)、後のEAEC(東アジア経済協議体)のビジョンを提示し、地域経済協力の枠組みの必要性を述べ、“アジアの意志”の代弁者と呼ばれるなど、独自のアジア的価値観を持つ強力な指導者である。
2003年に退任したが、2016年にUMNOを離党し、マレーシア統一プリブミ党(PPBM)を結成。2018年5月9日に行われたマレーシアの連邦下院選挙はマハティール率いる野党連合がナジブ・ラザク率いる与党連合に勝利して、マレーシア独立以来初の政権交代が実現、マハティールは15年ぶりに首相へ就任した。この時マハティールは92歳であり、民主的な選挙で選ばれたリーダーとしては世界最高齢であった。在職中、彼は汚職の撲滅や緊縮財政などの政策を迅速に打ち出し、前政権の計画の見直しも実施し、政府各省庁に対しても実施中のプロジェクトの見直しを求めた。2020年2月、与党連合内の対立と混乱により引責辞任、同年8月には再び新党を立ち上げた。2022年11月の下院総選挙に97歳で出馬したが、落選した。 1925年7月10日[注釈 1]、英領マラヤ時代のマレー半島北部クダ州の州都アロースターに、9人兄弟の末っ子[3]のマレー人として生まれた。父はインドのケーララ州から移住してきたイスラム教徒の家系の出身で、アロースター初の英語学校の校長だった[4]。 当時のクダ州はイギリス支配下であった。ただし「植民地」ではなく、スルターンにある程度の権限が残された「保護領」であり、マハティールによれば、住民は概ねイギリス統治下の生活に満足していたとされる。
来歴
生い立ち