マニー・マチャド
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マニー・マチャード

マニー・マチャド
Manny Machadoサンディエゴ・パドレス #13
サンディエゴ・パドレス時代
(2021年8月27日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
ドミニカ共和国
(二重国籍)[1]
出身地 アメリカ合衆国
フロリダ州マイアミ
生年月日 (1992-07-06) 1992年7月6日(31歳)
身長
体重6' 3" =約190.5 cm
218 lb =約98.9 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション三塁手遊撃手
プロ入り2010年 MLBドラフト1巡目
初出場2012年8月9日
年俸$17,090,909(2023年)[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ブリトー・マイアミ・プライベート・スクール

ボルチモア・オリオールズ (2012 - 2018)

ロサンゼルス・ドジャース (2018)

サンディエゴ・パドレス (2019 - )

国際大会
代表チーム ドミニカ共和国
WBC2017年2023年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

マニー・マチャド(英語: Manny Machado, 本名:マニュエル・アルトゥロ・マチャド(Manuel Arturo Machado, 1992年7月6日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。MLBサンディエゴ・パドレス所属。愛称はミスター・マイアミ[3]

元プロ野球選手のヨンダー・アロンソ義兄にあたる[4]
経歴
プロ入りとオリオールズ時代

2010年MLBドラフトではブライス・ハーパーに次ぐナンバー2の野手とされ、1巡目(全体3位)でボルチモア・オリオールズから指名される[5]スコット・ボラスが代理人を務め、契約には525万ドルを要した[6]

2012年は2年連続でオールスター・フューチャーズゲームに選出された。8月9日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビューを果たした[7]。初打席は遊ゴロに倒れたが、第2打席で三塁打を記録した。翌日にはルーク・ホッチェバーからMLB初本塁打を含む2本塁打を記録した。

2013年は開幕から「2番・三塁手」として先発メンバーに定着。オールスターゲームまでのシーズン前半の96試合で39本の二塁打を記録し[8]アール・ウェッブの樹立したシーズン67二塁打を更新すると期待されたが[9]、最終的には51本に終わり記録更新は成らなかった。更に前半戦では打率.310、7本塁打、45打点等の成績を残し、この年のオールスターゲームに初めて選出された[10]。その後も全試合に出場していたが、9月23日のタンパベイ・レイズ戦で、7回表の打席において一塁ベースを駆け抜けた際に左膝靭帯を損傷し退場した[11]。10月14日に内側膝蓋大腿靱帯の再建手術が成功裡に行われ、復帰までには半年ほどが見込まれていることが発表された[12]。この年は三塁手として守備率.973、355補殺、42併殺などでリーグ最高の数字を残し、初のゴールドグラブ賞を受賞した[13]。また、プラチナ・ゴールド・グラブも受賞している。

2014年3月11日にオリオールズと51万9000ドルの1年契約に合意した[14][15]。6月8日のオークランド・アスレチックス戦でアスレチックスの選手にめがけてバットを投げ、乱闘騒ぎとなり退場処分を受け、MLBより5試合の出場停止と罰金の処分を受けた[16]。8月11日の試合で遊ゴロを打った際に右膝を痛め、同13日に故障者リストに入れられた。同27日に受けた手術が成功し、2015年シーズンのスプリングトレーニングでの復帰の見込みとなった。

2015年オールスターゲームに選出され、打点を記録した[17]。最終的に全162試合に出場し、アメリカンリーグ最多となる713回打席に入った。打撃面では、自己最高の打率.286、35本塁打(リーグ10位)と自己最多の86打点を記録。

2016年は開幕戦から16試合連続安打を記録するなどして4月のプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞した。6月7日のロイヤルズ戦でヨーダノ・ベンチュラに内角攻めされ、次打席で死球を受けたのを切っ掛けに殴り掛かり乱闘となり、退場処分を受けた[18]。6月9日にMLBより4試合の出場停止処分が科せられ、異議申し立てを行った[19]が却下され、処分が確定した[20]。この年は前半戦で打率.318、19本塁打、53打点と[21]打ち、ファン投票でオールスターゲームに選出された。


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