マニー・パッキャオ
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フィリピン政治家マニー・パッキャオ
Manny Pacquiao
上院議員のオフィスにて(2018年)
生年月日 (1978-12-17) 1978年12月17日(45歳)
出生地 フィリピン
ブキドノン州キバウェ(英語版)
所属政党PDPラバン (2012?2014、2016?現在)
ピープルズ・チャンプ・ムーブメント (2010?現在)
自由党 ( -2007、2010?2012)
配偶者ジンキー・ジャモラ (1999年結婚)
子女5人
親族ボビー・パッキャオ (弟)
宗教カトリック→プロテスタント福音派
サイン
上院議員
在任期間2016年6月30日 - 2022年6月30日
サランガニ州地区の下院議員
在任期間2010年6月30日 - 2016年6月30日
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基本情報
本名エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ
通称Pac-Man(パックマン)
Mexican Killer(メキシカン・キラー)
The Destroyer(破壊者)
階級ライトフライ級 - スーパーウェルター級
身長166 cm[1]
リーチ170 cm[1]
スタイルサウスポー
プロボクシング戦績
総試合数72
勝ち62
KO勝ち39
敗け8
引き分け2
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マニー・パッキャオ
YouTube
チャンネル

Team Pacquiao

活動期間2016年1月29日 -
登録者数98.5万人
総再生回数2億3823万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年7月27日時点。
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マニー・パッキャオ(Manny Pacquiao、1978年12月17日 - )は、フィリピン政治家、元プロボクサー、元プロバスケットボール選手。福音派の伝道師でもある。本名エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ(Emmanuel Dapidran Pacquiao)。ブキドノン州キバウェ出身。パッキアオ、パキャオとも表記される。

世界6階級制覇(海外では8階級制覇と紹介されることがほとんど[2])を成し遂げた人物。元WBC世界フライ級王者。元IBF世界スーパーバンタム級王者。元WBC世界スーパーフェザー級王者。元WBC世界ライト級王者。元WBA世界ウェルター級スーパー王者。元WBO世界ウェルター級スーパー王者。元WBC世界スーパーウェルター級王者。
来歴

1978年12月17日にフィリピン・
ミンダナオ島中部のブキドノン州キバウェ(英語版)で母親と2度目の結婚相手との間に6人兄弟の4男として産まれる。一日一食の日もあるほど貧しい野菜農家であった。パッキャオが初等学校6年の時、父親が別の女性と不倫しているのを母親が見つけ両親が離婚[3]。母親が工場のパートタイムや野菜の路上販売で一家の家計を支えるようになる。パッキャオはミンダナオ島南部の南コタバト州ジェネラル・サントスの初等学校を卒業するが、貧困のため中等学校を中退し(後に2007年2月に高校卒業認定試験に合格している)[4]、家計を助けるため路上でフィリピンのパン「パン・デ・サル」や花や煙草を売っていた。建設作業員として働いていたこともある[5]

2001年6月23日にIBF世界スーパーバンタム級王者のレーロホノロ・レドワバに挑戦者予定だった選手2人が相次いで怪我で欠場となった際、トレーナーのフレディ・ローチにパッキャオが代役として急遽抜擢され、KO勝ちで王座を奪取したことが、後に一試合で2,000万ドル(20億円)以上を稼ぐ名ボクサーへの大きな一歩となった。

2010年に当選してから2期連続でフィリピン議会の下院議員を務め、2016年からは上院議員を1期務めていた。2022年にはフィリピン大統領選挙に出馬したが落選した。

評価

全盛期には、強豪が相手でも果敢に打ち合いに挑みKOを狙う
ハードパンチャーで、スピードとスタミナに優れリングを縦横無尽に動いて手数で圧倒する試合スタイルだったが、晩年は運動量が減り全盛期ほどの鋭い踏み込みや迫力のある連打は見られなくなり、2009年11月のミゲール・コット戦以降の9年間KO・TKO勝利が無かったことなど決定力と爆発力に陰りをみせた。スーパーフェザー級時代までは鋭く踏み込んでからの左ストレート、ラッシュをメインとしていたが、階級をライト級に上げて以降は右リードジャブ、右フック、フットワークも習得した。

ライトフライ級でデビュー以来、次々と階級を上げながらスーパーウェルター級までの11階級を渡り歩き、その過程で幾多の名王者・名選手を撃破した、ボクシング史上2人目、史上最多タイ記録となるメジャー世界タイトル6階級制覇王者である。

ただし、ウェルター級世界王座とスーパーウェルター級世界王座を獲得した試合は階級の規定体重による試合ではなくキャッチウェイト契約で行われたため、正規の体重ではないことから複数階級制覇記録を疑問視する声は世界的にある[6]

上述のような経緯を経てフライ級、スーパーバンタム級、スーパーフェザー級、ライト級、ウェルター級、スーパーウェルター級で計6階級のメジャー世界タイトル(WBA、WBC、IBF、WBO)を獲得してきたが、その他にもフェザー級ではマルコ・アントニオ・バレラ、スーパーライト級ではリッキー・ハットンという、対戦当時はメジャー4団体王座を保持していないながらも世界最強と目された選手に勝利してリングマガジン王者に認定されているため、これらの2階級を加えて海外メディアでは8階級制覇王者として評価・紹介されることが多い。

パッキャオが評価されている最大の理由は、史上2人目のメジャー世界タイトル6階級制覇という数字よりも、世界タイトルにこだわるのではなくビッグマッチを優先させ、一流の強豪選手・人気選手を幾多の階級にわたって撃破してきた点にある。

HBOPPV放送でメインイベントを務めた初のアジア人ボクサーであり、2009年11月14日のミゲール・コット戦でアジア人ボクサー史上最高額となる1試合2千万ドル以上のファイトマネーを獲得[7]。2015年のフロイド・メイウェザー・ジュニア戦では1億5千万ドル(約184億円)のファイトマネーを稼いだ。

母国フィリピンでは英雄的存在で非常に人気が高く、4階級制覇を達成した2008年6月29日のデビッド・ディアス戦のフィリピンでのテレビ視聴率が63.8%を記録[8]、2008年12月6日のオスカー・デ・ラ・ホーヤ戦のフィリピンでのテレビ視聴率は45.6%を記録[9] 、2015年5月2日のフロイド・メイウェザー・ジュニア戦では、フィリピンのテレビ局3局が同時中継し、3局合計で46.9%の視聴率を記録した(各局の視聴率は、ABS-CBNが24%、GMAネットワークが20.4%、TV5が2.5%)[10]

アマチュア時代

ブルース・リーモハメド・アリを見て格闘技に興味を持ち、マイク・タイソンの試合をきっかけに12歳頃からボクシングを始めると、週末に広場で開かれる草ボクシングの試合に出場して少額の金を稼ぐようになる[4]。14歳の時マニラへ出稼ぎに出た際に本格的にボクシングを始め、しばらく路上で寝泊まりしながらトレーニングを積んだ後に[4]、フィリピンナショナルアマチュアボクシングチーム入りを果たすと政府から住居と食事の保証を受けるようになった。


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