マニラ首都圏
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マニラ首都圏
Kalakhang Maynila
Metropolitan Manila

地域
首都圏
Pambansang Punong Rehiyon
National Capital Region
左上から: マカティ中心業務地区、サンチャゴ要塞、フィリピン文化センター、ボニファシオ・グローバルシティケソンメモリアルサークル、オルティガス・センター


印章

愛称: メトロ・マニラ
Metro Manila
マニラ首都圏の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯14度35分 東経121度00分 / 北緯14.583度 東経121.000度 / 14.583; 121.000
フィリピン
ルソン島
管理主体マニラ首都圏開発庁(MMDA)
設立1975年11月7日 (48年前) (1975-11-07)[1] (首都圏)
1978年6月2日 (45年前) (1978-06-02)[2] (地域)
都市リスト

マニラ市

カローカン

ラスピニャス

マカティ

マラボン

マンダルヨン

マリキナ

モンティンルパ

ナヴォタス

パラニャーケ

パサイ

パシッグ

ケソン市

サンフアン

タギッグ

ヴァレンズエラ

パテロス

政府
 ? 首都圏開発庁長官Romando Artes(代理)
 ? 首都圏評議会議長Francis Zamora
面積
 ? 地域636.00 km2
人口(2020年)
 ? 地域13,484,462人
 ? 密度21,000人/km2
 ? 都市部26,300,000人
族称英語: Manilan
スペイン語: manilense, manileno
フィリピン語: Manileno(-a), Manilenyo(-a), Taga-Maynila
等時帯UTC+8 (フィリピン標準時)
市外局番+63?(0)2
ISO 3166コードPH-00
GDP (2020)5.8兆ペソ
1210億ドル[3]
成長率 (7.2%)[3]
HDI 0.85(とても高い)[4]
HDI順位2位 (2019)
ウェブサイト ⇒mmda.gov.ph

首都圏(しゅとけん、: Pambansang Punong Rehiyon、: National Capital Region、略称: NCR)、通称マニラ首都圏(マニラしゅとけん、フィリピン語: Kalakhang Maynila、英語: Metropolitan Manila)は、フィリピン首都であり[5]地域のひとつ。日本語訳せずメトロポリタン・マニラ、その通称であるメトロ・マニラ(Metro Manila)、あるいは単にマニラ圏とも言われる。

マニラ市を中核とした都市圏で、フィリピンに3つある都市圏のひとつである[注釈 1]

メトロ・マニラにはが存在せず、マニラ市や旧首都ケソン市を含む16市と1町により構成されている。メトロ・マニラの面積は東京23区よりやや大きい636km2で、人口は約1348万人(2020年)である。さらに近郊を含む都市圏人口は約2630万人(2021年)で、世界で6番目に人口の多い地域である[6]
概要

マニラ首都圏は、フィリピンの文化経済教育政治の中心地である。グローバル・パワーシティの1つに分類されており、フィリピン国内外の商業、金融、メディア、芸術、ファッション、研究、技術、教育、エンターテインメントに大きな影響を与えている。また、フィリピンにあるすべての大使館が位置しており、フィリピンの国際外交における中心地となっている。そのため、この地域はフィリピンの金融と商業においても中心地となっており、フィリピンの国内総生産 (GDP) の36%を占めている。

1975年11月7日、フェルディナンド・マルコス政権期に首都行政機能を果たすマニラ首都圏が、大統領令第824号により設立された。前身のマニラ州(英語版)は、19世紀末にフィリピンにおけるスペイン植民地支配に対して反乱を起こした最初の8州の一つである。初代知事はイメルダ・マルコスだった。1986年にコラソン・アキノ大統領令392号により権限が変更され、1995年に改編され現在のマニラ首都圏開発庁(MMDA)が創設された。これは政府機関であり長は大統領によって任命され道路交通や都市計画などを担当[7]するもので、マニラ首都圏自体は行政機関および行政区画ではなくなっている。
歴史「マニラ#歴史」も参照
マニラ州マニラ州の地図

マニラ州(英語版)という歴史的な州(province)は、かつて先スペイン期(英語版)のさまざまな政治家が領有していた領域を含んでいる。これには、今日よく知られているパシッグ川デルタ地帯のマニラ(英語版)やトンド(英語版)に加え、タンボボンタギッグパテロス、カインタ(英語版)の要塞都市などといった小さな居住地も含まれていた。そして、この地域が植民地時代のフィリピンの首都となり、マニライントラムロス)は植民地支配の中心地となった。1898年当時はマニラ市とその他23の自治体を含んでいた。マリキナも1898年から1899年まで、フィリピンの主権がアメリカ合衆国に移ったときと同じように首都として機能していた。1901年に州は解体され、その大部分は新たに創設されたリサール州に編入された。

スペイン植民地時代から、マニラは世界都市の原型として考えられていた。マニラ・ガレオン船は、250年にわたり太平洋を航海し、高級品、経済的利益、文化交流などをメキシコにもたらした。これらは商業的に利用された最初の貿易ルートとして知られている。
リサール州の創設

アメリカ植民地のフィリピン・コモンウェルスの時代、アメリカ人の建築家都市設計家ダニエル・バーナムは、フィリピン政府のためにマニラの都市計画の作成を依頼された。1901年のマニラ市は、ビノンド(英語版)、エルミタ(英語版)、イントラムロス、マラテ(英語版)、マニラ、パンダカン(英語版)、キアメB(マニラ)(英語版)、サンパロック(英語版)、サンアンドレスブキド(英語版)、サンフェルナンドデディラオ(英語版)、サンミゲル(英語版)、サンニコラス(英語版)、サンタアナデサパ(英語版)、サンタクルーズ(英語版)、サンタメサ(英語版)、トンドの各地区と小区で構成されていた。一方、カローカンラスピニャスマリキナパシッグパラニャーケマラボンナヴォタスサンフアンデルモンテ(現、サンフアン)、サンペドロデマカティ(現、マカティ)、サンフェリペネリ(現、マンダルヨン)、モンティンルパタギッグパテロス地域の町と教区はリサール州に組み込まれ、パシッグは州都に指定されている。


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