フランス・ スペインの政治家マニュエル・ヴァルス / マヌエル・バイスManuel Valls
2015年
生年月日 (1962-08-13) 1962年8月13日(61歳)
出生地 スペイン、カタルーニャ州バルセロナ
出身校パリ第1大学トルビアック歴史学部
前職広報アドバイザー
所属政党 フランスにおいて
(社会党→)
共和国前進[1]
配偶者スサナ・ガリャルド・トーレデディア
子女4人
スペイン王国
バルセロナ市議会
マニュエル・カルロス・ヴァルス(フランス語:Manuel Carlos Valls、1962年8月13日 - )は、フランスおよびスペインの政治家(出身地の言語であるカタルーニャ語ではマヌエル・バイス。姓の日本語表記は「バルス」も見られる[2])。フランソワ・オランド政権において内務大臣および首相を歴任した。 1962年8月13日にカタルーニャ州バルセロナにて、カタルーニャ系スペイン人(民族カタルーニャ人)の画家であるシャヴィエ・ヴァルスとイタリア系スイス人の母との間に誕生し、20歳頃の1982年にフランス国籍を取得した。パリ第一大学(歴史学専攻)を卒業した。 1980年に政治活動を開始して、学生組合の活動に加わる。1983年から1986年までフランス国民議会議員の秘書になり、24歳のころにイル=ド=フランス地域圏議会議員に当選した。 1997年フランス議会総選挙で落選し、その後1997年から2002年まで首相であったリオネル・ジョスパンの広報アドバイザーを務めた。 2012年5月発足のジャン=マルク・エロー内閣で内務大臣に就任した。2014年3月の統一地方選挙での社会党の大敗によるエローの首相辞任に伴い、フランソワ・オランド大統領より後任の首相に任命された。 2015年10月に初来日し、日本の安倍晋三首相と会談した[3]。 2016年12月6日、翌年のフランス大統領選挙に出馬するため、首相を辞任した。2017年1月22日に行われた社会党大統領候補予備選挙第1回投票で、ブノワ・アモン元国民教育相に次ぐ第2位となった。予備選挙第2回投票に進み、同年1月29日に行われた投票では200万票を集めたアモンに敗北した(アモン58.71パーセントに対してヴァルス41.29パーセント)[4]。後にエマニュエル・マクロン支持に回ったことで社会党からは非難を浴びたが、マクロン勢力に合流することも叶わなかった。[5]。 2018年9月25日にヴァルスはバルセロナ市長を目指して2019年5月26日のバルセロナ市議会選挙
人物・来歴
選挙はまず、市議会選挙が行われ、議会から議員の互選で市長を選出する形で行われたが、結果は現職市長のアダ・コラウの再選であった。議席を獲得したヴァルスは、カタルーニャ独立派市長の誕生を阻止するため、自陣営の一部と共に現職支持に回った[7]。
2022年フランス議会選挙(英語版)に向け、共和国前進から在外フランス人第5選挙区(英語版)の候補者に指名されている。しかし、サマンサ・カズボンヌ(英語版)の代理議員に選ばれた共和国前進のステファン・ヴォジェッタ(英語版)は、これを落下傘だと批判し、立候補を維持することを選択した[1]。
2022年6月6日、メトロポリテーヌに先んじて行われた11の在外フランス人選挙区の第1回投票で在外フランス人第5選挙区から立候補していたが、NUPESのルノー・ル・ベールが1位、上述のステファン・ヴォジェッタの2位に次ぐ3位となり、第2回投票(決選投票)には進めなかった。この結果に伴い、共和国前進代表のスタニスラス・ラゲーニ(英語版)はステファン・ヴォジェッタの支持を表明した[8][9]。また、ヴァルスはTwitterにおいて最後に「Adieu Twitter...」と投稿した後、そのアカウントを削除した[10]。
政策
外交
日本の国際連合安全保障理事会常任理事国入りを支持している[11]。