マニタス・デ・プラタ
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マニタス・デ・プラタ
(Manitas de Plata)
ベルナール・ビュッフェが装飾したギターで演奏する様子(1968年)
基本情報
出生名Ricardo Baliardo
生誕 (1921-08-07) 1921年8月7日
死没 (2014-11-05) 2014年11月5日(93歳没)
ジャンルフラメンコ
職業ギタリスト

マニタス・デ・プラタ(Manitas de Plata、1921年8月7日 - 2014年11月5日[1])は、フランスフラメンコギタリスト。本名はリカルド・バリアルド (Ricardo Baliardo)。「マニタス・デ・プラタ」は「銀の小さな手」という意味で、ギター演奏の巧みさを讃えたものである。ギタリストとして世界的な名声を得たが、「コンパス」と呼ばれるフラメンコの伝統的なリズムを逸脱したため、批判されることもあった。

ジプシー・キングスのメンバーであるバリアルド兄弟(ジャクー、モーリス、トニーノ)は、マニタスの息子である[注 1]。同じくレイエス兄弟(ポール、フワンソワ〈カヌート〉、パチャイ、ニコラ、アンドレ)は、従兄弟のホセ・レイエスの子であり、マニタスの甥にあたる。また、オーストラリアのマルチプレイヤーであるクリス・フリーマン(英語版)は、1971年にマニタスからギターを教わっており、マニタスの影響と指導が認められる。

他にも弟のイッポリテ・バリアルド(Hippolyte Baliardo, 1928-2009)、長男のマネロ・バリアルド(Manero Baliardo, 1940-2012)など、マニタスの家族の多くは有名なフラメンコ奏者であった。もうひとりの息子であるバンボ・バリアルド(Bambo Baliardo)は、2015年時点で現役の音楽家・奏者である。
生涯

マニタス・デ・プラタ(リカルド・バリアルド)は、南フランス・セットのジプシー・キャラバンで生まれた。カマルグサント=マリー=ド=ラ=メールで行われるジプシーの巡礼にて毎年演奏することで有名になり、これはデベン・バッタチャリヤ(英語版)によってライブレコーディングされた。

マニタスは当初人前での演奏を好まず、ジャンゴ・ラインハルト(1910 - 1953。当時、満場一致でジプシーギタリストの頂点と認められていた)の死後10年経って初めて演奏に同意した。1963年、マニタスの最初のアルバムがアルルの礼拝堂で収録され、フィリップスレーベルから発売された。これは1967年にコニサー・ソサエティ(英語版)レーベルから再版され、ブック・オブ・ザ・マンス・クラブ(英語版)で売られている。レコードを聴いた芸術家のジャン・コクトーは、マニタスを称賛する手紙を出した。また、1964年にアルルでのマニタスの演奏を聴いたパブロ・ピカソは、「あの男は私よりも価値がある!」と声高に叫び、ギターに絵を描いた。

マニタスの友人であるルシアン・クレルグ(英語版)がニューヨークで開催した写真展示会の後、マニタスはアメリカ合衆国でも好評を博すようになった。レコードがアメリカの聴衆から注目を集めて有名になり、1965年11月24日にニューヨークのカーネギー・ホールでコンサートが行われた。カーネギー・ホールのコンサートのポスター

1967年から、ダンサーのニーナ・コーティ(英語版)を伴って世界ツアーを実施し、ライブレコードを作成した。1968年、ロンドンのロイヤル・バラエティ・パフォーマンス(英語版)で演奏した。

マニタスは、引退後に住んでいたモンペリエの自宅で、2014年11月6日に死去した。死因は公表されていないが、2013年4月に重度の心臓発作を発症して以来、体調が優れなかったことが伝えられていた。モンペリエ市庁舎前のマニタス・デ・プラタ像
ディスコグラフィ

Juerga! (1963)

Flamenco Guitar (1965)

Manitas de Plata - The world's greatest living flamenco artist (1966)

Manitas et les siens (1967)

The Art of the Guitar (1968)

La guitare d'or de Manitas (1970)

Et Ses Guitares Gitanes (1972)

Excitement of Manitas De Plata (1973)

Hommages (1973)

Soleil des Saintes-Maries (1978)

Feria Gitane (1994)

Ole (1994)

Manitas de Plata at Carnegie Hall (1995)

Flaming Flamenco (1997)

Manitas de Plata (1998)

Camargue de Manitas (1999)

Guitare D'Or Manitas de Plata (1999)

Flores de mi corazon (1999)

Guitarra Flamenco (2001)

Manitas de Plata y los Plateros (2004)

出典[脚注の使い方]
注釈^ バリアルド兄弟については、マニタス・デ・プラタの実子とする説[2]、甥とする説[3][4][5]、同姓だが血縁はないとする説[6]がある。

出典^マニタス・デ・プラタさん死去 フラメンコギターの巨匠 朝日新聞 2014年11月7日
^ Walters, John L. (2014年11月9日). “Manitas de Plata obituary”. The Guardian. 2021年8月2日閲覧。
^ アルバム『ジプシー・ルンバ?マニタス・デ・プラタ・ベスト』(PHCA-6145)ブックレットより。
^ アルバム『トニーノ・バリアルド エッセンシズ』(ESCA 8323)日本版ブックレットより。


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