マディ・プライヤー
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マディ・プライヤー
Maddy Prior
MBE
スティーライ・スパン - UKクロップリーディー公演(2016年)
基本情報
出生名Madelaine Edith Prior
生誕 (1947-08-14) 1947年8月14日(76歳)
出身地 イングランド
ランカシャー州ブラックプール
ジャンルブリテッシュ・フォーク・ロックフォーク
職業歌手、ダンサー
担当楽器ボーカルパーカッション
活動期間1967年 - 現在
レーベルパーク・レコード
共同作業者スティーライ・スパン
マディ・プライヤー・アンド・ティム・ハート
ブラス・モンキー
シリー・シスターズ
ザ・カーニヴァル・バンド
ジューン・テイバー
ローズ・ケンプ
公式サイト ⇒www.maddyprior.co.uk

マディ・プライヤー[注 1] (Madelaine Edith "Maddy" Prior、MBE1947年8月14日 - )は、イングランド出身の女性フォークシンガーであり、スティーライ・スパンのリードボーカルとして最もよく知られている[1]。プライヤーはブラックプールで生まれ、10代でセント・オールバンズに引っ越した。父親のアラン・プライヤーは警察ドラマ『Z-Cars』の共同制作者だった。プライヤーはスティーライ・スパンのベーシスト、リック・ケンプと結婚しており、娘のローズ・ケンプも歌手である。息子のアレックス・ケンプは父親と同じくギタリストで、父親に代わってスティーライ・スパンのベースを弾いている。

プライヤーはマック・マクラウドとのシンギング・デュオ「マック&マディ」の一員だった。その後、ティム・ハートと共演し2枚のアルバムを録音した後、1969年にスティーライ・スパンの結成に協力した。1997年にスティーライ・スパンを脱退したが、2002年に復帰して、以降はツアーに参加している。ジューン・テイバーとはシンギング・デュオのシリー・シスターズとして活動していた。2007年にはザ・カーニヴァル・バンドと、2012年と2013年にはジャイルズ・ルイン、ハンナ・ジェームズとツアーを行った。プライヤーはソロ・アーティストとして、これらのバンドやいくつかのコラボレーションでシングルやアルバムをリリースしている。彼女はカンブリア州ビーキャッスルのアートセンター「ストーンズバーン」を運営しており、そこでは住み込みコースを提供している。
生い立ち

ブラックプールで生まれたプライヤーは10代でセント・オールバンズに移り住み、そこで若き日のドノヴァン・レイッチやマック・マクラウドとパブ、ザ・コックで親交を深めた。後にマクラウドとのデュオ「マック&マディ」を結成した。プライヤーはレヴァランド・ゲイリー・デイヴィスを含むアメリカ人ミュージシャンたちのローディーを務めた。彼らは彼女にアメリカの歌ではなくイギリスのフォークソングを歌うことについて有益なアドバイスを与えた。彼女の父アラン・プライヤーは警察ドラマ『Z-Cars』の共同制作者であり、テレビ用に腕をスリング吊った少年を描いた6部作のシリーズ『Stookie』を執筆した。マディが歌ったタイトル曲は1985年にシングルとしてリリースされた。この曲はスティーライ・スパンのアルバム『A Rare Collection 1972 - 1996』に再録された。
歌手としてのキャリア

マック・マクラウドとのマック&マディ (ザ・コック・パブで結成された別のアクト)での短い活動の後、1966年には同じくセント・オールバンズ在住のティム・ハートとの共演を始め、2枚のアルバムを録音した後、1969年にスティーライ・スパンの創設メンバーとなった[2]。1980年代初頭、体調不良によりハートが半引退を余儀なくされるまで、彼らはグループのバックボーンとして活躍していた。プライヤーはタンバリン、スプーンズ、ウクレレを演奏しており、彼女の個々のダンスはいつも軽快なパフォーマンスを提供している。1974年、ラルフ・マクテルが彼女に敬意を表して「Maddy Dances」を書き、アルバム『Easy』に収録した。

プライヤーはベーシストのリック・ケンプと結婚したが、その後離婚している。歌手のローズ・ケンプは彼らの娘である。

プライヤーは、セッション・ワークや、自身の曲で構成されるアルバムを、ザ・カーニヴァル・バンドとの共演による中世西洋音楽から、ブリテッシュ・フォーク・ロック(スティーライ・スパンとマディ・プライヤーは、BBC 4のレギュラー番組『Electric Folk』[3]でテレビ出演している)、プログレッシブ・ロック、トラディショナル・ソングまで様々なスタイルでレコーディングした。そこにはマイク・オールドフィールドのアルバム『呪文』のセッション・ワークも含まれていた。1997年にスティーライ・スパンを脱退したが、2002年に復帰。1999年のアルバム『The Journey』はマディがまだバンドに在籍していた1995年に録音されたが、4年後にリリースされた。また、彼女はデュオ「シリー・シスターズ」の片割れでもあり、ジューン・テイバーのキャリアを後押しした。

2003年以来、プライヤーはカンブリア州のストーンズ・バーンというアートセンターを運営している。アビー・レイスや娘のローズ・ケンプなどの歌手やパフォーマーたちと協力して、歌、瞑想、料理、パフォーマンスに焦点を当てた滞在型コースを提供しています。他の教師が主催するイベントには、インド古典舞踊、絵画、ドラムなどがある。プライヤーは慈善団体「キャンサーリサーチUK」を代表してキャンペーンを行っている。
近年のツアーとアルバム

マディ・プライヤーは2007年5月、ザ・カーニヴァル・バンドと共に「酒場と礼拝堂のための音楽」ツアーに参加した。彼らの作品に大きな影響を与えた人物の一人であるチャールズ・ウェスレーの生誕300周年を祝った。2007年8月にはカンブリア州で開催されたソルフェスト・フェスティバルにレヴェラーズと共にゲスト出演した。最近のアルバムでは、トロイ・ドノックリーが共同プロデューサーを務めている。

2007年12月にアルバム『Ringing The Changes』がリリースされた。このアルバムはバンドが書いた曲を集めたものである。2008年、マディ・プライヤーはBBCの『エレクトリック・プロムス』に出演した[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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