マディソン_(ウィスコンシン州)
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マディソン
City of Madison

モノーナ湖よりマディソンのダウンタウンを望む


市旗

愛称 : Mad Town/Mad City
位置

デーン郡内の位置
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度4分29秒 西経89度23分4秒 / 北緯43.07472度 西経89.38444度 / 43.07472; -89.38444
歴史
市制施行1848年
行政
アメリカ合衆国
 州ウィスコンシン州
 郡デーン郡
 市マディソン
市長サティア・ローズ?コンウェイ(英語版)[1]
民主党
地理
面積 
  市域219.4 km2
    陸上  174.3 km2
    水面  41.4 km2
標高280 m
人口
人口(2020年現在)
  市域269,840人
  備考[2]
その他
等時帯中部標準時 (UTC-6)
夏時間中部夏時間 (UTC-5)
公式ウェブサイト : https://www.cityofmadison.com/

マディソン(Madison)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州の州都。人口は26万9840人(2020年)で、ミルウォーキーに次ぐ州第2の都市である。デーン郡の郡庁が立地する。

マディソンのダウンタウンはメンドータ湖、モノーナ湖という2つの湖に挟まれた地峡の上に形成されている。この2つの湖と、近隣のウォーベサ湖、ケゴンサ湖とをあわせた4つの湖が連なる地域に立地していることから、マディソンはThe City of Four Lakes(4つの湖の街)と呼ばれている。一方、政治的には自由・進歩・革新の気風が強いことから、The People's Republic of Madison(マディソン人民共和国)、Left Coast of Wisconsin(ウィスコンシンの左海岸)、30 square miles surrounded by reality(現実に囲まれた30平方マイル、「78平方マイル」とする呼び方もある)とも呼ばれている。また、学術都市としての性格と1960年代カウンターカルチャーの流行から、Berkeley of the Midwest(中西部のバークレー)とも呼ばれる[3]
歴史

1829年、元連邦裁判官ジェームズ・デューン・ドーティーはメンドータ湖とモノーナ湖に挟まれた地峡を探索し、この地に都市を建設すべく、1,000エーカー以上に及ぶ沼地・森林を購入した。その後1836年ウィスコンシン準州が成立すると、最初の準州都であったベルモントでウィスコンシン準州議会が開かれ、恒久的な準州都をどこに置くかについて議論が持ち上がった。すると、ドーティーはこの構想上の都市に、6月28日に死去した第4代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・マディソンにちなんでマディソンという名を付け、また街路にはアメリカ合衆国憲法の署名者39人の名を付け、ここを準州都とするように準州議会を説得した。当時準州の2大都市であったミルウォーキーとプレーリー・ドゥ・シーンのちょうど中間にあり、北東には準州最古の都市グリーンベイが立地し、また南西には発展著しい鉱山地帯が広がっていた地の利から、準州議会は11月28日、まだ構想段階にあったマディソンを準州都に制定した[4]モノーナ湖南岸からマディソンの市街を望む(1855年

1837年には準州会議事堂の建設が始まり、1838年にはマディソンでの最初の準州議会が開かれた。その後マディソンは1846年に人口626人の正式な村となり、1848年に準州の州昇格に伴ってウィスコンシン州の州都となり、また、ウィスコンシン大学マディソン校が設置された。1854年には、マディソンにミルウォーキー鉄道が通った。1856年には、マディソンは人口6,863人で市制を施行した[4]

南北戦争中には、マディソンはウィスコンシンにおける北軍の拠点となっていた。ミルウォーキー通り、イースト・ワシントン通り、ウィネベーゴ通り、ノース通りが交わる角はユニオン・コーナーズと呼ばれ、南へと向かう北軍の兵士にとっては最後の休憩地となっていた酒場が建っていた。市の西には、当時のウィスコンシン州知事アレクサンダー・ウィリアムズ・ランドールから名を取った、キャンプ・ランドールと呼ばれる野営地が設けられ、訓練所、野戦病院、および南軍捕虜を収容する牢獄として使われていた。終戦後、キャンプ・ランドールはウィスコンシン大学のキャンパスに組み入れられ、その跡地には1917年にキャンプ・ランドール・スタジアムが建てられた。

マディソンはその市制施行当時から、周囲の町を合併して拡大を続けてきた。20世紀後半に入り、中西部の他の主要都市が軒並み衰退に向かい、市域人口を大幅に減少させる中にあっても、マディソンの人口は増え続け、2000年の国勢調査では市史上初めて人口20万人を突破した。
地理マディソンとその周辺の衛星写真。4つの湖は左上からメンドータ湖、モノーナ湖、ウォーベサ湖、ケゴンサ湖。

マディソンは北緯43度4分29秒 西経89度23分4秒 / 北緯43.07472度 西経89.38444度 / 43.07472; -89.38444に位置している。市はミルウォーキーの西約125km、シカゴの北西約200km、ミネアポリスセントポールの南東約380kmに位置する。標高はウィスコンシン州会議事堂の位置で280mである。

アメリカ合衆国国勢調査局によると、マディソン市は総面積219.3km2(84.7mi2)である。そのうち177.9km2(68.7mi2)が陸地で41.5km2(16.0mi2)が水域である。総面積の18.91%が水域となっている。
地形

マディソンはヤハラ川の流路上にメンドータ湖、モノーナ湖、ウォーベサ湖、ケゴンサ湖の4つの湖が連なる地域に立地していることから、The City of Four Lakes(4つの湖の街)と呼ばれることがある[5]。これらの4つの湖は、約13,000年前、最終氷期の終わり頃に氷河が後退し、土地が侵食されたことによって形成されたものである[4]。ヤハラ川はこれらの4つの湖を通り過ぎると南へと流れてジェーンズビルの北でロック川に合流する。ロック川はイリノイ州に入ると南西へと流路を変え、ダベンポート都市圏のロックアイランドミシシッピ川へと注ぐ。
気候

マディソン
雨温図説明


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