マティルド2世_(ヌヴェール女伯)
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マティルド2世
Mathilde II
ヌヴェール女伯
トネール女伯
オセール女伯
在位
1254年 - 1262年

出生1234/5年

死去1262年

配偶者ウード・ド・ブルゴーニュ
子女ヨランド2世
マルグリット
アリックス
家名ダンピエール家
父親アルシャンボー9世・ド・ブルボン
母親ヌヴェール女伯ヨランド・ド・シャティヨン
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マティルド2世(フランス語:Mathilde II, 1234/5年 - 1262年)またはモード・ド・ダンピエール(Maud de Dampierre)、マティルド2世・ド・ブルボン(Mathilde de Bourbon)は、ヌヴェール女伯、トネール女伯およびオセール女伯(在位:1254年 - 1262年)。
生涯

マティルドはアルシャンボー9世・ド・ブルボンとヌヴェール女伯ヨランド・ド・シャティヨンの娘である[1]。ヌヴェール、トネールおよびオセールの女子相続人として、マティルドはブルゴーニュ公ユーグ4世の長男ウードと結婚した[1]。この結婚はブルゴーニュ公領に重要な2つの伯領を再併合するためのものであったが、ウードは父に先立って死去し、ブルゴーニュ公領は弟ロベール2世が継承した。ヌヴェール伯領は10年間、3人の娘たちの間でヌヴェール、トネールおよびオセールに分割された[2]

マティルドとウードの間に4女が生まれた。

ヨランド2世(1247年 - 1280年) - ヌヴェール女伯。ルイ9世の子ジャン・トリスタンと結婚、フランドル伯ロベール3世と再婚[3]

マルグリット(1250年 - 1308年) - トネール女伯。シチリア王シャルル・ダンジューと結婚[4]

アリックス(1251年 - 1290年)[1] - オセール女伯。ロシュフォール領主ジャン1世・ド・シャロンと結婚。

ジャンヌ(1253年 - 1271年) - 早世

脚注^ a b c Berman 2018, p. 92.
^ Le Clech 2010, p. 38.
^ Bubenicek 2002, p. 54.
^ Jamison & Clementi 1992, p. 325.

参考文献

Berman, Constance Hoffman (2018). The White Nuns: Cistercian Abbeys for Women in Medieval France. University of Pennsylvania Press 

Bubenicek, Michelle (2002). Quand les femmes gouvernent: droit et politique au XIVe siecle:Yolande de Flandre, Droit et politique au XIV siecle. Ecole des Chartes 

Jamison, Evelyn Mary; Clementi, Dione (1992). Studies on the History of Medieval Sicily and South Italy. Scientia Verlag 

Le Clech, Sylvie, ed (2010). Les etablissements hospitaliers en France du Moyen Age au XIXe siecle espaces, objets et populations. Editions Universitaires de Dijon 

先代
ヨランド1世ヌヴェール女伯
1254年 - 1262年次代
ヨランド2世

先代
ヨランド1世トネール女伯
1254年 - 1262年次代
マルグリット

先代
ヨランド1世オセール女伯
1254年 - 1262年次代
アリックス

先代
アルシャンボー9世ブルボン領主
1249年 - 1262年次代
アニェス・ド・ダンピエール


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