マツダ・ロードスター
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マツダ・ロードスター
4代目(2015年5月 - )国内仕様
Sスペシャルパッケージ(6速MT
概要
別名ユーノス・ロードスター
MX-5 (MX-5 Miata)
製造国 日本
販売期間1989年 -
ボディ
ボディタイプ2ドアオープンカークーペカブリオレ
エンジン位置フロント
駆動方式後輪駆動
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ロードスター(ROADSTER)は、マツダが製造・販売するオープンタイプライトウェイトスポーツカーである。
概要

1989年5月にアメリカで発売。日本国内では同年8月に先行予約を開始し、9月1日に発売された。当時のマツダは5チャンネル体制を敷いており、そのうちのユーノス店の第1弾車種として「ユーノス・ロードスター」の名称で発売された。発売初年には日本国内で9,307台を販売し、翌1990年には全世界で9万3,626台を販売し、スポーツカーとしては大ヒットとなった。

ロードスターの成功を受けて、トヨタ自動車MR-S)や本田技研工業S2000)などの日本メーカーだけでなく、MGMGF)やフィアットバルケッタ)、BMWZ3)、メルセデス・ベンツSLK)、ポルシェボクスター)といった海外メーカーまでもが影響を受け、各社から中小型オープンカーが発売されるなど、消滅しかけていたと思われていたライトウェイトスポーツカー市場が活性化する起爆剤となった[1]

2000年には生産累計53万1,890台を達成し、「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」としてギネスブックの認定を受けた。また、2004年の生産累計70万台達成時、2007年1月30日の生産累計80万台達成時、2011年2月4日の生産累計90万台達成時にも記録更新の申請を行い、認定されている[2]2016年4月22日には生産累計台数100万台を達成した。

日本国外ではマツダ・MX-5(Mazda MX-5)の名称で販売されている。また、北米ではマツダ・MX-5ミアータ(Mazda MX-5 Miata)と呼ばれており、単にペットネームのミアータ(Miata)と呼ばれることもある。「ミアータ」は古語ドイツ語で「贈り物」「報酬」を意味する[3]。マツダは2019年から日本国内の車名をグローバル名と順次統一しているが、ロードスターに関しては対象外としている[4]

発売直後から全国でオーナーズクラブが発足し、現在も活動を続けている。誕生10周年、誕生20周年にあわせた記念ミーティングがマツダ三次テストコースで開催され、日本全国だけでなくイギリスフィリピンおよびタイからもオーナーが集まった[5][6]

モータースポーツとしては、1989年から自動車メディア関係者による「メディア対抗ロードスター4時間耐久レース」が筑波サーキットで行われており、以降1991年を除く毎年9月に開催されている。北米でも2003年からワンメイクレースが大規模に開催されており、2016年からは「グローバルMX-5カップ」としてプロドライバーを目指すアマチュアの登竜門になっている。2017年からは日本のスーパー耐久ST-5クラスへ特認[注釈 1]の形で参戦が可能になり、2021年現在ではST-5クラスの約半数を占める一大勢力となっている。
初代 NA系(1989年-1998年)

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出典検索?: "マツダ・ロードスター" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年2月)

ユーノス・ロードスター(初代)
NA6CE/NA8C型

トヨタ博物館クルマ館に
展示されているNA6CE型
内装
概要
販売期間1989年9月 - 1998年1月[7]
ボディ
乗車定員2名
ボディタイプ2ドア オープン
エンジン位置フロント
駆動方式後輪駆動
パワートレイン
エンジンB6-ZE型 1,597cc 直4 DOHC
BP-ZE型 1,839cc 直4 DOHC ベルト駆動
最高出力B6-ZE型
120ps/6,500rpm
BP-ZE型
130ps/6,500rpm
最大トルクB6-ZE型
14.0kgf・m/5,500rpm
BP-ZE型
16.0kgf・m/4,500rpm
変速機4速AT/5速MT
サスペンション
ダブルウィッシュボーン式
ダブルウィッシュボーン式
車両寸法
ホイールベース2,265mm
全長3,970mm
全幅1,675mm
全高1,235mm
車両重量

NA6CE型MT 940-960kg
NA6CE型AT 980kg
NA8C型MT 980-1,000kg
NA8C型AT 1,030kg全車エアコンはショップオプション +25kg、ABS装着車は +20kg
その他
生産台数43万1506台[8]
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プロダクトデザインは田中俊治、俣野努、中島美樹夫ら数名の手によるものである。量産決定に伴い、開発主査には平井敏彦が就任。後に平井の退職に伴い、サスペンション開発の担当であった貴島孝雄が主査を引き継いだ。

開発の発端[9]は、マツダが北米に「プラン・アンド・リサーチ」というスタジオを設け、俣野が実寸大のクレイモデルを作り始めた頃[10]、スタッフ数名が空港に向かう車中で「MGのようなライトウェイトカーがあれば」と話したこととされている。その後、このスタジオはアーヴァインR&Dセンター(のちのMAZDA RESEARCH of AMERICA。以下MRA)として機能することになる。

この意見を元に、当時MRAに在籍していた福田成徳[11]らがデザインコンセプトをまとめた[10]。デザインコンセプトは有志の手によって具体化が進められ、FA4型ファミリアのコンポーネンツを使用し、英・I.A.D社で試作車が製作された。この試作車はプロジェクトV705号というニックネームで呼ばれ、車体色が赤色であったことやフロントボンネットの造形がボリューム感あるものであったため、福田らスタッフからは「りんごちゃん」と呼ばれていた。

この試作車を使用してイギリス、アメリカで実際に走行試験が行われた。この走行試験は本社の一般の人の反応を見てプロジェクトの可否を決定したいという意向によるものであった。走行試験中、偶然それを見かけた市民が試作車を追いかけてきて、「代金はいくらでも払うから譲ってほしい」と言われることも珍しくなく、民家の庭に逃げ込ませてもらうこともしばしばであった。こうした市中の好意的反応によりプロジェクトの続行が決定され、開発コードは「P729」とされた。今でもこの試作車はマツダ社内に保管されており、2009年夏に20周年イベントのプレイベントにて展示公開された。プロトタイプV705のフロントプロトタイプV705のリアプロトタイプV705のシートプロトタイプV705の計器類プロトタイプV705のエンジン

その後も開発は、日本国内の本社工場デザイン棟西側に隣接する車両保管棟、通称「リバーサイドホテル」と称される建物の5階で有志により継続された[注釈 2]。もとは車両保管棟であったため、室内にはガードレールが設置されていたが、開発室とするにあたりそれらを撤去したり、トイレを設置したりと幾分かの改善が施され、設計用ドラフター等が搬入された[13][出典無効]。その後、有志によって「ライトウェイトオープン スポーツ」の存在が社内でプレゼンされ、正式開発の指示の下、正式開発ラインに初めて乗ることになる。当時、マツダのデザイン拠点は広島本社とは別に前述のMRAの他、横浜にあるデザイン本部(MRY)、そしてヨーロッパ(MRE)にも展開されており、これら3拠点で練られたデザインが広島本社に持ち寄られ、最終的なデザインの方向性が決められた。主となるデザインはMRA提案であったが、後の開発過程で贅肉をそぎ落としていくことになる。

開発に当たってのキーワードは「人馬一体[注釈 3]」とされた。「人車一体」は開発にあたって田中がまとめた「J58G コンセプトシナリオ」に記されている。そのシナリオには「デザインフィロソフィ”ときめきの世界の創造”」と「発想の原点”もっと楽しいワクワクドキドキする車を作りたい。そんな車が欲しい”」が融合して生まれたデザインコンセプト『Swinging Time Machine』、造形テーマ『ひびきときらめき』が提唱されている[14][出典無効][15]。なお当時のデザインコンセプトは「ときめき[16]」である[注釈 4]

デザインモチーフには「日本の伝統」を記号化したものが多く用いられた[17]。前述のデザインフィロソフィから生まれた日本の伝統美を具現化する「感性のデザイン」である[14][出典無効]。フロントマスクは、能面のひとつである「小面」、ボンネット部分で盛り上がり、サイドウィンドウに沿ってなだらかに下がって再び盛り上がるサイドのラインは、同じく能面のひとつである「若女」を横から見た姿にインスパイアされている。これらは令室が手掛ける能面を見た田中が日本の伝統美を感じたからであり、実物の能面は今も田中の自宅に飾られている。そして車体の曲面は光の映り込みまで計算されている。シート表面のパターンは表の模様、リアコンビランプは江戸時代両替商が使った分銅の形をデザインしている。独特の形状のアウタードアハンドルは、あえて従来のものとは一線を画すようにデザインされた。これは、日本の茶室の「くぐり戸」から入る際の緊張感と同列の感覚をロードスターの運転を前に感じて欲しいという、開発者からのメッセージでもある。

ヘッドライトにはリトラクタブル・ヘッドライトを採用。ヘッドライトベゼルの曲面形状は俣野の提唱によるものであり、オプション設定されるハードトップのリヤウインドウ形状もR360クーペのアイデンティティを汲むものとして同時に彼が提唱している[18]

リアコンビネーションランプは、デザイン性と機能性の両立を評価され、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に展示・永久収蔵されている[19][18]。なお、スペースの都合で車両自体の展示が出来ず、ロードスターのアイコンとして田中が提示したのがこのパーツであった。

量産モデル決定後、他の市販車ではあり得ない約1年半という期間で市場にデビューすることになる。量産開発コードは”J58G”とされた。また短期間で市場に投入するため既存車両の部品流用も多く、2代目AA系キャロルのサイドウインカー、3代目E8/F8系ボンゴの灰皿等が採用されている。灰皿のシボ模様はロードスターの室内樹脂部品のシボ模様と異なるが構成部品として採用された。日本仕様車のフロントバンパー中央に取り付けられるエンブレムは田中がデザインを進めていたが、ユーノスチャンネルでの販売を受けてユーノスブランドマークの”Vマーク”に変更された[14][出典無効]。

NA6CEのスピードメーターおよびタコメーターの縁取りは光沢シルバー仕上げであるが、量産直前に田中が高級感のあるメーターにしたくて中島と検討して決めたものであり、塗装ではなくコストのかかるホットスタンプ工法を採用している。

足回りは当時同クラスでは既に珍しくなっていたFRが採用された。


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