マツダ・キャロル 初代モデルはマツダの前身の東洋工業により1962年(昭和37年)に発売された360cc車で、軽自動車初の4ドアセダンタイプのモデルとなったことでも知られ、1970年(昭和45年)まで生産された。後継にシャンテを登場させるも販売振るわず1976年(昭和51年)に販売終了。派生型として排気量の大きなエンジンを搭載した小型乗用車規格のキャロル600も販売された。後にこれは主力大衆車ファミリアへと発展した。 その後、長い中断期間があったが、1989年(平成元年)にマツダが立ち上げた軽自動車中心のオートザムブランドの中心車種として復活した。2代目と3代目はスズキ・アルトが基本構造のベース車にて製造および販売されたが、4代目以降はスズキ・アルトの完全なOEM車となっている。 マツダ・キャロル(初代) マツダ・キャロル600 1962年(昭和37年)2月 製造開始。当初は2ドアが、翌年の1963年(昭和38年)にデラックス仕様車の4ドアが発売され、その当初は大ヒットした。 東洋工業(当時)は1960年(昭和35年)にマツダ・R360クーペで軽乗用車業界に参入していたが、これは4人乗りながら後部座席が極めて狭く、実質2座席車であった。当時の軽乗用車市場を席巻していた完全4人乗りのスバル・360に対抗するには機能面で不足で、発売当初こそ低価格で注目されたが、スバルの牙城を崩すには至らなかった。また空冷V型2気筒の簡易なエンジンが乗用車エンジンとしてはやや洗練に欠けることも否定できなかった。 キャロルはこれに代わる主力車として開発企画されたもので、当初1961年(昭和36年)の東京モーターショーで700ccセダン、「マツダ700」として原型が発表されたものの、360ccの軽自動車として市場に出された。 特徴は、軽乗用車でありながらトランクルーム兼用のボンネット、キャビン、車体後部のエンジンルームが外見的に分離した「ノッチバックスタイル」を用い、後部座席背面のリアウインドウ部分はガラスを垂直に立てた「クリフカット」型として、ヘッドクリアランスとエンジンフード(他のFR車ではトランクリッド)の開口面積を稼ぐ手法を採ったことである。
8代目 HYBRID GS 2WD
概要
別名マツダ・オートザムキャロル(2、3代目)
スズキ・アルト(4代目 - )
日産・ピノ(5代目)
製造国 日本
販売期間1962年 - 1970年(初代)
1989年 - (2代目以降)
ボディ
ボディタイプ2/4ドアセダン(初代)
3ドアハッチバック(2代目 - 4代目)
5ドアハッチバック(4代目 - )
エンジン位置リア(初代)
フロント(2代目以降)
駆動方式後輪駆動(初代)
前輪駆動 / 四輪駆動(2代目以降)
系譜
先代初代:マツダ・R360クーペ[1]
2代目:マツダ・シャンテ
後継初代:マツダ・シャンテ
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概要
歴史(自社生産時代)
初代 KPDA型(1962年 - 1970年)
KPDA型
キャロル360(前期型)
キャロル360(後期型)
キャロル360(後期型 リア)
概要
販売期間1962年2月 - 1970年8月[2]
デザイナー小林平治
ボディ
乗車定員4人[3]
ボディタイプ2/4ドアセダン
エンジン位置リア
駆動方式後輪駆動
パワートレイン
エンジン358cc 直列4気筒 OHV [3]
最高出力18PS/6,800rpm[3]
最大トルク2.1kgf・m/5,000rpm[3]
サスペンション
トレーリングアーム[3]
車両寸法
ホイールベース1,930mm[3]
全長2,980mm[3]
全幅1,295mm[3]
全高1,340mm[3]
車両重量525kg[3]
その他
生産台数約26万台[2]
系譜
後継マツダ・シャンテ
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NRA型
概要
販売期間1962年11月 - 1965年[4]
ボディ
乗車定員4人[3]
ボディタイプ4ドアセダン
エンジン位置リア
駆動方式後輪駆動
パワートレイン
エンジン586cc 直列4気筒 OHV[3]
最高出力28PS/6,000rpm[3]
最大トルク4.2kgf・m/4,000rpm[3]
サスペンション
トレーリングアーム[3]
車両寸法
ホイールベース1,930mm[3]
全長3,200mm[3]
全幅1,325mm[3]
全高1,340mm[3]
車両重量585kg[3]
その他
生産台数不明(メーカーにデータなし)[5]
系譜
後継マツダ・ファミリア800セダン
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